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お爺さんの小さな反抗

『ご注意』
この物語はフィクションです。
実在の人物や団体や特定の場所や国とは一切関係がありません。


昔々あるところに、お爺さんとお婆さんが暮らしていました。
二人は生まれてからずっと、小さな町からほとんど出たことがなく、娘たちの結婚式や、初孫の晴れ舞台の時のような特別な時だけ遠出をし、どこかへ旅行に行くようなこともなく、まるでお尻とその町とが磁石でくっついているかのような暮らしぶりでした。

お爺さんは若い頃からその町の教育と発展に貢献し、一生を町のために働いて過ごした人でした。それでも時代の波には逆らえず、人口は減り、お爺さんが引退する頃には昔と比べて随分と静かな町に変わりつつありました。

お婆さんは二人の娘を育て上げ、家の裏庭に作った畑で野菜を作ったり、時々遊びにくる孫の世話をしたりしながら、ほとんどの毎日を家から徒歩で行ける範囲だけで暮らしていました。

なんの変哲もなさそうな幸せな老夫婦に見える二人でしたが、実はこのお婆さんにはとんでもない癖がありました。お婆さんは、お金をある分だけ使ってしまうのです。

お爺さんの仕事の役職が変わり、お給料が上がるにつれて、お婆さんのお金遣いも荒くなっていきました。それでもお爺さんは「若い頃に苦労をかけたのだから」と文句を言いません。お婆さんは調子に乗ってお金をどんどん使います。町の八百屋さんや魚屋さん、薬局やお肉屋さん、電気屋さんに郵便局まで、あらゆるお店がお婆さんのお得意さんになっていきました。たくさんお買い物をするお婆さんはお店の人たちからとても愛想良くされるので、お婆さんはますます上機嫌になり、さらにどんどんお金を使います。お化粧品は都会のお金持ちも本当に使うのだろうかと疑うような高級品を薬局でお取り寄せしてもらい買うようになり、お客さんが家に来る日があれば高級な蟹を魚屋さんに注文し、夏は大きくて甘いスイカを八百屋さんに注文しました。お正月はお餅を大量に作るために、お店が使うような餅つきマシーンを買い、夏にはかき氷機を買いました。お爺さんとお婆さんの家は、娘たちが遠くに嫁いでからは二人暮らしが長かったのですが、時々お客さんが集まるような賑やかな家になりました。

一見するととても幸せに暮らしているように見えているお爺さんとお婆さんでしたが、小さな町で働くお爺さんのお給料と年金だけの暮らしの家がお金を湯水のように使っていて、問題が起きないはずがありません。お爺さんもお婆さんもそれなりの年齢になってくると病気もしました。大きな手術をしたこともあり、遠くの町の大きな病院に入院をしたり、長く通院することもありました。

お爺さんは最後の最後まで、何も文句を言いませんでした。遠くで暮らす娘たちは次第に心配になりました。しかしお爺さんは「大丈夫だから」としか言いません。

そしてついに、お爺さんが亡くなる時がやってきます。お爺さんは物忘れもひどくならず、最後まで畑仕事をし、ゆっくりな動作ながらも毎日自分のことは自分でしながら、それなりに健康を保って暮らしてきました。けれども最後は、不治の病に侵されてしまったのです。ある時、体に強い痛みを感じたお爺さんは病院で診てもらいます。先生はうかない表情で言葉を濁すので、お爺さんは先生に正直に言ってもらうことにしました。先生の口から出た言葉は「あなたは、もってあと半年です。」という残りの人生の時間でした。

お爺さんは考えました。このまま自分が死んでしまったら、残された娘たちが苦労するだろう。あのお婆さんは変わりようがない。何か自分に今からできることはないだろうか。

お爺さんはまず、自分が死んだ後に必要になる手続きについて勉強し始めました。相続問題を具体的に解決するのは二人の娘たちになるだろうから、なるべく簡単に手続きが終えられるようにしてあげたいと思ったのです。お爺さんは病状が良い日に司法書士さんを調べ、自ら運転して出かけ相談に行きました。次にお爺さんは自分の葬儀のことが心配になりました。田舎のお葬式はお祭り騒ぎのような忙しさで、残された家の人たちはその対応に奔走するのです。小さい頃からその町で何度もお葬式を見てきたお爺さんは、これは大変だと思い、自分で葬儀屋さんを選びました。そして家に葬儀屋さんを呼び、一つずつ自分の葬儀について決めていったのです。お通夜の会場はどこ、葬儀の後の会食はどこ、会食のメニューはこれで、会食に出席する人たちはこの人たちで席順はこれ、棺桶はこれで祭壇はこれ、一つ一つを全て自分で決め、そして支払いを済ませました。あとはお爺さんが亡くなった時に、娘たちの誰かが葬儀屋さんに電話一本かければ全てが最後まで進行するような段取りにしたのです。

お爺さんの人生最後の支度はまだ続きます。お爺さんはずっと先祖代々のお墓を守ってきましたが、何代も続くその家の墓石が雨風で少し傷んできていたのが気になっていました。そこで墓石を新調することにしたのです。お爺さんは町の石屋さんに行きました。自分でお墓のデザインを選び、石の種類を選び、文字の入れ方を選びました。ある時、孫の一人がお爺さんのお見舞いに駆けつけた時、お爺さんと一緒に墓石を見に行く機会がありました。石屋さんでまだ作っている途中のその墓石を見たお爺さんは、とても満足そうで、満面の笑顔だったそうです。その時、孫はなぜそんなに墓石が嬉しいのかと不思議に思ったそうですが、年を重ね、しかもそれが先祖代々の大切なものと思えば、そういう気持ちにもなるのかしらと、お爺さんの様子を黙って見ていたそうです。

そしていよいよ、お爺さんが亡くなる時が来ました。お爺さんから葬儀屋さんの電話番号を渡されていた娘は、亡くなった病院先から葬儀屋さんに電話をします。お爺さんがそうしたかった通り、葬儀屋さんがスムーズに事を進めてくれました。娘たちがすることは必要な人たちに連絡をすることでしたが、それもお爺さんが誰に連絡をして欲しいというリストをまとめていたので、それに従って電話をするだけでした。

そんな中、お婆さんはといえば、この後に及んでお金を湯水のように使います。訃報を聞いて家に駆けつけてくれた人たちへ大盤振る舞い。酒を買ってこい、つまみを買ってこいと好き放題です。娘たちもわざわざ駆けつけてくれたお客様なのだからと我慢をしていましたが、まるで富豪のような振る舞いに次第に我慢の限界が来ていました。

さてそんな田舎のどんちゃん騒ぎの葬儀もようやく一息がついた頃、いよいよ相続の本格的な手続きを始めなければならなくなりました。お爺さんが事前に相談していた司法書士さんに連絡をしながら、資産の確認をしたのです。

すると驚くべきことが判明しました。なんとお爺さんはほとんど全ての資産を使い尽くして亡くなっていたのです。大きな家と土地とはいえ田舎の家に資産価値はほとんどありません。なにしろ固定資産税がほぼ無いような場所なのです。お爺さんは高級品を集める趣味ももちろんなく、ゴルフなんて無縁の人生なので相続でよく話題になるゴルフ券もありません。本当に資産になるようなものが全く無いのです。そのことは娘たちも分かってはいたのですが、驚いたのは預貯金口座でした。なんと貯金額は何かの間違いかと目を擦りたくなるような金額しか残っていなかったのです。お爺さんは最後の最後に、葬儀とお墓の注文にほとんどのお金を使っていました。少しくらいはお金が残っているだろうと甘い期待をしていた娘たちは愕然としました。それなのにお婆さんは「うちにはたくさんお金があるから」と言って聞きません。お爺さんが死んだというのに贅沢三昧です。

その後、この家のお婆さんがどんな人生になったかは、誰も知りません。なぜならお金を使えなくなったお婆さんには、誰も用事が無くなったからです。町の人たちはみんな、お婆さんの横柄な態度を我慢していました。それもこれも、たくさんお金を使ってくれていたからこその我慢でした。そんな状況になってもなお、お婆さんは全く反省する様子もなく、気がつく様子もありません。本当にどうしようもない人だったのです。

その様子を蚊帳の外から見ていた一人の孫は思いました。
「お爺さんの人生最後の仕返しは、壮大だった。決して争うことなく、無言の闘いに自分の死を以て勝利したのだ。」と。

ずっと我慢し続ける人生だったお爺さんは、最後の最後に自分のために目一杯お金を好きなように使い尽くして死んでいきました。娘たちは、ちょっとくらい残してくれたってと不満そうでしたし、孫たちもそう思っていたいのですが、その中の一人の孫は月日が経つにつれて、お爺さんが本当に何を思っていたのかについて、考えるようになりました。

真に誰かを懲らしめたいと思った時にするべきことは、言葉で争うことだけではないということをお爺さんは示してくれていました。病院のベッドの上で痛みに苦しむお爺さんが最後に残した言葉は「助けてください」でした。いつも他人に対して穏やかな姿勢を貫いたお爺さんは、多くの人に感謝され愛された人でした。人生の最後にお守りを握り締め神様に祈るお爺さんのところに、神様が手を差し伸べたのはいうまでも有りません。

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