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見晴し台のある家

夢の中によく出てくる家のパターンがある。
この地球上のどこかにありそうで無さそうな家だ。

窓から見える景色は、緑系を中心とした、しかし時々虹色のような反射を感じる草原の丘で、見渡す限り他の家は近くには無さそうだ。空の色もオレンジのような黄色のような、夕焼けでも朝焼けでもない、しかし澄み渡った空だ。

家の創りは石積みで、塔のように高い場所がいくつかある。
私はいつも、塔の中ほどにある部屋の窓から外を眺めて、何とも穏やかな心地でいる。
窓にガラスははまっておらず、石の壁に石の窓枠だけが四角く空いている。
風は強からず弱からず、気温も暑からず寒からず、湿度は低く、鳥の声は聞こえない。

夢の中でそんな家に何度か出くわしているうちに、自分の状況が気になり、夢の中で窓から部屋の中に目を移すものの屋内は電気がないのか暗くてよくわからない。
かといってそこは、がらんどうの空間なわけでもなく、必要なものがあって生活はできそうな雰囲気が漂っている。
自分が着ている服はベージュ系の色で長袖にロングスカートでシンプルな服装をしている。
この夢に他の人間は一切登場しない。
私はただ極めて穏やかに塔の窓から外を眺めている。

なんのドラマチックな出来事も起こらない石積みの塔の家の夢。
この夢が私は割と好きだったりする。
世の中が音で溢れ、出来事で溢れ、人間がぎっしり詰まっているから、夢の中くらいは静謐であったらいいなという願望なのだろうか。

ただの夢の中の話なのだが、しかしこの塔の感じは、ある意味理想的なのかもしれないなと最近考え始めた。
いつか日本ではない場所に家を作ることができたら、見晴台のある家にしたらいいかもしれない。
日常的に高い位置の窓を確保する必要はなくても、天気の程よい時、遠くまで見たい時に、自分の家の見晴し台にちょっと登れば、気分転換になる。

近所の公共の見晴し台も素敵かもしれないが、やはり私にはどうしたって誰にも会いたくない日や時間というのがあって、誰にも会わない休憩時間というのが生きるために必要なようだ。
それは幼い頃の自分の様子を奇妙そうに教えてくれた母から聞いたエピソードにもつながる。友達が家に遊びに来た後は、私は自室にこもって静かに過ごすことが多かったというのだ。ため息をついていることもあり、心配になった母は、友達との時間が辛かったのか私に質問したことがあったという。私はそんなことはない様子だったとか。
これに関して言えば、今思い出してみれば私は友達との賑やかな時間に少し疲れたというのも正直なところだったのだろうが、それ以上に友達が家に来ることで母の機嫌が悪くならないかどうか常に気を張って気をつけていなければいけないその緊張感に疲れ果てていたはずだった。だから、母もいない自室に引きこもって休憩していたのだ。母に気を遣いながら生きられるエナジーを補給するためには、一人になってチャージするしかなかった。

そういう幼い頃の日常の体験が影響しているのか、定かではないが、私は一人で瞑想したりするのも割と得意な方だし、そもそも日々が瞑想みたいなものだったりする時間も多いことにここ最近気がついた。
鳥の声や風が作る木々の音や、時々家を揺らしながら上空を飛んでいく飛行機の音までが気になってしまうわけではない。私が気になるのは、人間の声だ。人間の声には、多大なるエネルギーが含まれているように感じる。そのエネルギーの氾濫にいつもへとへとになっている。
我が家にはテレビはない。ラジオも滅多に聞かない。本当はリスニングのためにも英語のラジオなどを聞きたいと思うのだが、長い時間ラジオをつけっぱなしにすることがどうしても出来ない。なのでラジオを聴くときはラジオのくせに(ラジオというのはイメージとして何となく流しっぱなしにするもの、という思い込みが私の中にはあるようで)ラジオを聴く時間として限定せざるを得ない。そしてそれは長くても1時間が限界だ。

映画は1日1本しか観られないし、それこそ気力体力が満ち足りている時しか向き合えない。

書籍はどうかといえば、動画や音よりは楽に接することができるので、やはり人間の声のパワフルさに「人酔い」ならぬ「声エネルギー酔い」みたいなものを起こしてしまうようだった。

例えば今は、自宅で洗濯機を回していて、そのモーター音や洗濯槽の中で水がジャブジャブ言っている音が近くで聞こえ、最近逗子鎌倉のご近所のお友達の間でも話の早朝4時の空が白み始めると同時に爆音で鳴きはじめる某鳥が今も懸命に鳴いている。その合間に鶯のホーホケキョも聞こえ、スズメのチュンチュンも聞こえ、時々急な坂を駆け上がるバイクの音も聞こえてくる。でも、それらがうるさくてたまらないと思うことはない。

いつかどこかの気に入った場所に終の住処を作ることになったら、家の真ん中にはロの字型に囲まれたプライベートな中庭があって、建物のどこかの上には人が頑張れば二人くらいはくっついて座っていられる小さな見晴し台があると良い。中庭から星空を見たり、見晴し台から夕焼けや初日の出を見たり、何でもない日に何でもない景色を見続けたりしたい。

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