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私はどうなりたかったのか

去年の年末あたりから、今年はタイに行こうと計画していた。
土壇場でのタイ入国に関するワクチン接種基準の変更報道、その翌日には「やっぱり規制するのやーめた」というタイ側の撤回報道、いろんな情報に振り回され煽られながら、結局はタイに行くことになった。

1日ごとに状況が変わる中で、
「全ての出来事は私に対して最善の順番で発生している」
という感覚を信じようと思った。

結論から言えばそれを信じて正解だったわけだが、変化が起きる時には出来事の発生するスピードが速くなるんだよという話を思い出しながら、それが1日単位で発生、いや数時間単位で発生してくると、流石にその速度や環境にまだ慣れていない私は、あっちへよろよろ、こっちへよろよろと、右往左往してもいた。不安も大きかった。何しろ未経験ゾーンなのだ。

出国直前の私は「怖い」と言って泣いていた。
その時の私は「変わることが怖い」と言っていたような記憶がある。

出国後の目的地はタイのチェンマイとバンコク。今回はチェンマイ滞在日程の方を長く設定した。

行く目的はただ一つ。

会いたい人に会うこと。

それは単純に、コロナ禍で行動が制限されていた期間を終えて、久しぶりに会える喜び云々という、再会を喜ぶワイワイきゃあきゃあしたものではなかった。

会いたい人がいる場所がたまたまタイだった、だから行く。
ただそれだけのことだった。

その人たちに会うことに、何か具体的な期待が含まれていたわけではない。
単に懐かしむだけでもない。

一つだけ知っていたのは
「会うことが今の自分に必要だ」
ということだけだった。

私はとても自分勝手に会いに行った。
それが相手にとって有益な時間になるかは、考えなかった。
これまでの自分には無い行動だった。

ただただ、自分のためだけに、行動した。

そして私は会いたかった人たちに会い、彼らも惜しみなく彼らの時間を私のために使ってくれた。もしかしたらあまりにも切実で、あまりにもとんでもない状態らしい私を、気の毒に思ったのかもしれない。例えばお医者さんのところに、非常に重症な患者さんが来たら、相手もプロなもので、即座にこりゃ大変だと分かり、優先順位を変更したり、何か通常とは違う行動になるかもしれない。今回はそれに少し似ていたようにも思う。しかし本来であれば皆、私にそんな時間を割く義理もなければ暇もないはずの重鎮たちばかりである。そして私にできることは、嘘偽りのない生身の自分として彼らの前に立ち、正直に話をすることだけだった。いろいろな偶然が重なり、私は貴重な時間と学びを得ることができた。私はとてもラッキーだった。

そして今、学んだことを反芻しながら、
まだ大きな変化を足の裏から感じ切れていない自分と
今日は向き合ってみることにした。

「私は一体、どうなりたかったのだろうか」

時を遡り、日本を出国する時点を思い出す。
私は怖くて泣いていた。変化が怖いと思っていた。
しかし目を逸らさずに考えていけば、本当はこうだ。

「何者にも分類されない自分として存在する自信がなかった、だから怖かった。」

そこについてさらに考えた。

「何者でもない自分になるための行動を始めてしまったものの、どうしていいか分からないから、怖かった。」

「正解は自分の中にしかないことを知っているのに、誰かに正解を教えて欲しいと思っていた。もちろん誰も教えてくれるはずもない。だから怖かった。」

「間違いたくなかった。誰かに間違っていると指摘されるのが怖かった。誰にも理解されず評価されなくなることが怖かった。」

では、自分は本当はどうありたかったのだろうか。

出てきた結論はこうだ。

「本当は、何ものにも分類されない常態で素晴らしい自分としてこの世に立ちたかった。」

それは願望であり、生まれた時から目指した灯台でもあった。

私は現代社会にカテゴライズなんてされたくなかったのだ。

私は職業や、行動、見た目、その他さまざまな分かりやすいと思われているこの世の基準で分類されることを、辞めたかった。
それを辞めても、存在していいんだよと自分に知らせたかった。
それを辞めたら存在できなくなるような気がして、だから怖かった。

私の親、特に母親と母親側の親族たちは、職業差別意識の強い人たちだ。
母が親戚に、うちの娘はどこどこ大学に行っているとか、女優をしているとかモデルをしているとか、得意気に言いふらしているのを、私は心底嫌な気持ちで眺めていた。
親戚の中には、親族に私のような女優やタレントや芸能界という彼ら的には全くもって好ましくない商売をしている人がいるだなんて世間に知られたら恥ずかしいと思っている人たちがいた。私と親戚であることが世間にバレたくないと言われた。なんとなく受け流しながらも、心のどこかに引っ掛かる嫌な感じを覚えていた。
そして自分がなぜ嫌な気持ちになるのか、これまで分からなかった。

今ならわかる。
私はそんな分類で説明されることに、意味を見出して生きていないし、
私の生きる目的は現代の地球における職業という分類で測るべきものではないと
心が必死に叫んでいたのだ。

私の親と親族の行動は、私にそれを気づかせるためのものだったのかもしれない。

今度こそ私は、「ただ単なる私」であり続けることを選択する。

私は、世間一般的にはなんだか分からない存在として、けれどもしっかりと立っている状態に、誇りを持ちたい。

何者なのか説明が難しいと思われることに、自信を持ち、喜びすら感じたい。
そしてそれと同時に、誰かが何者であると私を判断するかどうかに無関心でありたい。

そしていつか、今持っている肉体が無くなった時、
私が本当に存在したのかしなかったのか、
よく分からないものになっていたい。

もう私は存在、実在かどうかにすら、分類されたくない。

私がここに今いることについて、
分類すること、説明すること、実在を確認すること、不在を認識すること
それらは私の魂からの何かにとっては全く無意味なことだ。

誰かが私をヒーラーだと思うこと、誰かが私を女優だと思うこと、誰かが私をモデルだと思うこと、誰かが私をもの作りする人だと思うこと、誰かが私をアート好きな人と思うこと、誰かが私をキュレーターだと思うこと、誰かが私を主婦だと思うこと、誰かが私を変人だと思うこと、誰かが私をある講座の先生だと思うこと。
そんなこと全てが、どうでもいい。

誰かが私をどう思うかについて、その方々の勝手にしてほしい。
私はそれを「ふーん」と思いながら右の耳に入る前にシュルリとどこかへ流してしまう準備ができてしまった。


さて、

私が
「ただ存在することが素晴らしいと感じて楽しむ」
状態を実践できる期間は今世にあとどれくらい残されているだろうか。

プラクティス、プラクティス、プラクティス

私のメンターたちが繰り返し言っていた。

プラクティス、プラクティス、プラクティス

Practice には練習や訓練、鍛錬という意味があると同時に、実践するという意味もある。

練習したり修行を積んだりそれを行動に移して実践してみたりすることを
一つにひっくるめて表現できる言葉が、おそらくプラクティスなのだろう。

つまりそれは、ここに生きることそのもの、とも言える。

プラクティス、それは生きること。

生きること、それはプラクティス。

他人の道から離れて、自分の道を歩くことで初めてプラクティスを続けることができる。
けれど他人の道を歩いてきた時間も無駄ではない。なぜなら他人の道の存在を知らなければ自分の道の存在にも気がつくことができないからだ。

プラクティス、プラクティス、プラクティス

ただ在ることを

瑣末な判断基準に惑わされないように

プラクティス、プラクティス、プラクティス

ただ在るだけの状態が昔はとても怖かった。

プラクティス、プラクティス、プラクティス

今とは何か、存在とは何か、
小さい頃に疑問に思っていたことに立ち戻ろう。

ただ在るだけでいいんだよ、という状態に慣れるのには少し時間がかかるかもしれないけれど、それでもプラクティスを続けよう。

私はこれまで、本来なら必要ではないはずの分類、道具、手段、物理的な何かをたくさんかき集め、箱に詰め、その箱の一番中心に座り、箱ごとゴリゴリと前進していた。
怖いから箱からは出ない。何か不測の事態が起きても箱の中は準備万端、そこからドラえもんのように道具を出して戦えばいいから安心。不安ならそれに対抗できる道具を努力で増やしておこう。事前の準備は万端であるに越したことはないのだ、そう思っていた。

けれどもう辞めよう。

全部捨てても、全部在るから大丈夫。
そこに慣れる練習期間が始まった。



そんなわけで、最近、私を誰かに紹介しようとしたときになんて言ったらいいか分からないんだけれどどうしたらいい?と聞いてくれた私のお友達よ。正解です。さすがですね。


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