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老犬ウイリアムとの暮らし

犬の歯が抜けた。
我が家の老犬ウイリアムは来月17歳になる。
犬と人間の口腔内システムというのは根本的に異なるらしく、犬は人間のような虫歯に極めてなりづらい代わりに、歯に歯石が付きやすい構造だ。
その事実を知った時、人間の私もそっちがいいな、と思ったものだ。歯石取りに歯医者に通う代わりに虫歯にはなりませんという話だったら、どんなに良いだろうか。しかし痛みが発生するから歯を大切にしようと思うのかもしれないし、歯石だけの問題なら歯医者に行くのもサボってしまうのかもしれない。

さて我が家の老犬。いまだにしっかりご飯は食べる。硬いものは食べたがらなくなったものの、茹でた鶏肉と野菜をしっかり食べている。

ある時、口の中をゴニョゴニョし始め、突如ペッと何かを吐き出したと思ったらそれは歯だったことがある。数年前の話だ。その後、鼻に蓄膿症のような症状が出始め、鼻詰まりも見られるようになり、かかりつけの獣医さんと相談して、歯周病からくる鼻の問題であろうということで、怪しい部分の4本を抜歯した。犬といえどもそこは人間と同じで、抜歯は1本ずつ。1ヶ月以上をかけて4本全てを少しずつ抜いていった。約1年前くらいの話だ。

おかげさまでそれから鼻の調子は良くなっていたのだが、今年の春になり、また蓄膿症のような症状が出始めてきた。
季節の変わり目だからなのか花粉のせいなのかと思い見守っていたのだが、ここ1週間急に鼻の調子がさらに進行したようにも見られ、こまめに気にしていたところ、今朝方、顔をブルブルと振った時に大きな塊になっている鼻水を周りに撒き散らした。
いつものことだなと思い、飛び散った鼻水を拭こうとしたら、様子のおかしい鼻水がある。とんでもない塊が出たのかと思い、恐る恐る近づいてみれば、なんとそれが歯だったのだ。
形状からしてどうも前歯らしい。

慌てて口をひん剥いてみれば、スポンと綺麗に歯が根本からすっぽ抜けた跡が見られた。
そんな軽い遠心力で漫画みたいにスッポーンと歯が飛ぶなんてこと、ありますか。
ありましたね。あるんでしょうね。

抜けた歯茎の根本からは出血していたものの、すぐに止まり、しかし抗生物質が必要な状態かもしれないし、今週ちょうど狂犬病の注射の件その他諸々で獣医さんに予約を入れようと思っていたところだったので、慌てて朝から電話して午前中に診てもらえることになった。

幸い、抜けた部分には問題はなく、しかし他にもグラグラして怪しい歯が4本くらいあるとのことで、ひとまず今日のところは様子見なものの今後チャンスがあれば1本抜こうかみたいな状態だった。

そんなこんなで本日は狂犬病予防接種の免除申請書類を出してもらい、久しぶりにヘルニア療養のための鍼灸もしてもらう。

ウイリアム様はいまだに自分のことは大体自分でしてくれる。獣医さんからもこのくらいの年齢になるとこんな症状の子もいたりあんな大変な子もいたりという話をされ、つくづくなんて手のかからない子なんだろうかと思った。

鍼灸をしているうちにリラックスして夢見心地になっていたウイリアム様は、ちなみにさっきすごい勢いで歯が抜けてたし今さっきまで眠かったんじゃなかったんですかと突っ込みたくなるような熱量で帰宅後ご飯を要求し、満腹になったところで、1人で寝るので声をかけないでくれとおやすみになられた次第。

平和だ。実に穏やかだ。

尊敬するアーティストの家のパグが2月に亡くなったことを昨日知った。
近所の友達の家の犬たちも2匹、立て続けに半年も置かないで次々と亡くなってしまった。
同い年のこたちが、どんどん虹の橋を渡っていく。

ウイリアムはいつまで一緒にいてくれるのだろう。
ここ数年いつも節目節目に、来年のこのタイミングはもう生きてないかもしれないなと思いながら、大切に過ごしてきたつもりだったが、いよいよ本当に、来年の桜を一緒に見ることは難しいだろうと思った。
去年の年末に家の2階の部屋で家族写真を撮って、それはほぼ初めてのことだったのだけれど、最初で最後の家族写真かも知れないと思ったら、覚悟も理解もしているはずなのに涙が溢れた。


年賀状用に撮った家族写真

私たちの肉体は、死んだら物的な話として、地球を構成している炭素やらなんやらの物質になっていくというのは、すんなり理解できるけれど、じゃあ今確かにあるはずの心や思考や精神や、そんなふうな目には見えるようで見えないような、しかし肉体以外の部分の何かというのは、どこに行くんだろうなと気になって仕方がない。
もしかしたら精神や魂と呼んでいるものは宇宙のダークマターの一部分なのかも知れないしそのものなのかもしれないし、ダークマターという認識以上に人間がまだ判別できないような計り知れない部分の何かなのかも知れない。

仮に科学的に証明しても、死後もウイリアムは常にそばにいるよ、と言える状態なのかも知れないがそれでもやはり、触れて嗅げてお腹が減って文句を言って機嫌が良かったり悪かったりするのを尻尾の動きで見て取れるような3次元空間の物体としてのウイリアムが存在し続けて欲しいと願って執着してしまう。

「今とは何か」という疑問を小さい頃から持っていた私は、「自分が存在するというのはどういうことか」という疑問に進み、「自分と相手が存在しそれらが消えていくというのはどういうことか」という不思議を不穏に感じ、そしてまた「今という瞬間が存在するのだろうか」という過去と未来の間で過ぎて行く、まるでイタチごっこのような時間への疑問に戻ってくる。

「今」と思っている瞬間に、私もウイリアムも存在している。
でもそれは「永遠」ではないらしい。

幼い頃、「今」というものについて考え始めるといつも、無重力空間に1人放り出されたような不安に襲われた。そのあまりの未知の恐怖に、すぐに何かのスイッチを切り替えて、「今」への疑問に蓋をしてやり過ごしてきた。
しかしやはりいつもどこかで気になっていたし、それらは多分、私の生死への執着を手放したいと願う何かと繋がっているような気がする。

ウイリアムは大きな欠伸をして、さっきご飯を食べたのを忘れてまた食べたいと言い出し、私はそれを抱き上げて宥め、骨と皮と毛と肉で温度と重さを必死に感じてその存在を確認しながらこの文字を書いている。

私たちが確実に存在しているらしい「今」はどうやったら掴み取ることができるのだろうと今朝抜けた歯を、ウイリアムの抜けた歯入れ用の瓶に入れながら、考える。


最初に抜けた歯を蚤の市で見つけた瓶に入れていた。今日はまた1本追加。

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