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いいよ、いいよの私たち

先日、友人とのオンライン打ち合せの予定が入っていた。開始一時間前に、友人から「30分送らせてもらってもいい?」と連絡をもらい、「いいよー!」と応えたものの、ちょっとモヤモヤとした気持ちもあった。

打ち合せが始まって、友人が打ち合せに遅れた旨に触れてくれたので、彼女にはきっと気持ちを正直に伝えても大丈夫、と思い「いや、いいんだけど、ちょっと大事にしてもらえてない気持ちがしたかな…」と、勇気を出して伝えてみたら「ああ!そうだよね!ごめん。まりちゃん、いつも『いいよいいよ』って言ってくれるイメージあったから、そこに甘えちゃったよ…」と応えてくれた。

そこで、あーそっか、私「いいよいいよ」って言ってくれるヒトとして、まわりの目に映っているんだな、と理解した。

親切で明るく、テキパキとしたキャラクター。これが私の目指してきたところでもある。昔はこうではなく、色んな個性を分離させて、ここを目指してきた、という自覚もある。

しかし、去年あたりから、色々なコミュニティーで、ボランティアでの調整役や制作などを依頼され、引き受けることが多くなり「ちょっとしんどいな…」と思い始めたところだった。

打ち合せの相手の友人自身も、「いいよいいよ」で、予定外のことを引き受けて、とても疲れてしまうことがある、と明かしてくれた。

そして思い出したが、別の友人たちとも最近、「色々なことを引き受け、疲れてしまう」「これ私がやるべきことなのかなぁ?と疑問に感じることがある」という話をしたばかりだった。

そういう友人達には皆、聡明で明るく、コミュニケーション力が高い、という共通点がある。こういうキャラクターで「いいよー!」と言う自分を選択して、「No」という自分は分離させて、生きてきたのかもしれない。

「本当に引き受けたいものだけを選択する」
「そうでないものにはNoと言う」
これからはそうしていこう、と思っている。

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