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自分を反省的に見る、ということ

「社会を変えたい」と思っている人は多い。特に、イギリスに留学で来ている人は「国際貢献/協力」の仕事に就きたいと思ってる若者が多いから、そういう人に会うことも多い。

私は、「国際貢献/協力」の道に進むつもりはないけど(そこに自分の原点はない)、日本の子供の問題(貧困も含め)はとても関心があるし、ライフワークにしたいと思っている。それは自分の暗くて惨めな10代の経験が忘れられないからである。世界を変えたい!というキラキラ感というより、ドロドロしたものに支えられた動機、という方が正しい。

社会問題に携わる人が、全員当事者である必要はないと思う。
私は、自分の家庭が家庭円満でなく問題だらけであったけれど、塾や高校や大学に行かしてもらえたのは(母親の理解と超人的な犠牲があったわけだけど)、恵まれていたからだという認識がある。収入は不安定で、給料がない月もあり、借金取りもきて、父親は嘘ばかりつき、社会的にまともな仕事をしているとは思えず、母親にお金を借りる時だけ下手に出て普段は威張りちらし、本当にロクでもなかった。でも、担保に入ってはいても持ち家で、年金を支給されている祖母もいて(少なくとも母のパートと年金が収入としてあった。)、父も母も大学卒で教育資本があり、超人的に節約できる母親の能力、が揃っていたという意味では、本当に恵まれていた。

だから、自分が恵まれていなかった、というのは高校大学、会社の周りの子達の環境に比べての話であって、「社会の上澄み」と比べているだけなのである。

それでも、当人にしたら、本当に惨めで人生の暗黒期であった。母親は金策とくずの父親との喧嘩に忙しかったから、私が思春期で下着がないとか、そういうことにも気付かない位であったけど(これは私の10代の思い出の中でもひどく心に引っかかっていることの1つ)、学費は必ず出してくれた。学校では優等生であったが、ちっとも楽しくなかったし、思い出したい思い出もあまりない。周りの友達ともあんまりうまくいっていなかった。自己肯定感も低かった。家のことはいつも隠してたから、「お父さん/お母さんのことを尊敬している。家族大好き」なんて同級生を見ると、なんて返事をすればよいかよくわからなかった。

ただ、もっともっと大変な家庭環境で育った人から見れば、そんなの甘いよって言われるかもしれない。
それはそうだ。

でも、生まれはみんなそれぞれで、それぞれに課せられた人生の課題がある。
そしてそれぞれに辛いことがあったりする。それは本人にしかわからない。どんなにピカピカで順風満帆そうに見えても、隠れた何かがある場合もある。

だから、社会問題に関わる人も、みんなそれぞれの動機で関わればよいと思う。
ただ、「自分」の存在を「常に反省的に見る」という行為は必ず必要だと思う。自分がそこそこ恵まれた環境で生きてきたのならば、それも受け止める。貧困含めた子供の問題に取り組みたい私は、高校もいけないような貧困で育っているわけではないから、そういう状況は想像しかできない。共感はできない。それも受け止める。そして、自分が大学、大学院卒であることは、「お勉強的に」物事を考えてしまうかもしれない、その可能性が高いことも常に反省的に見ていく必要がある。

色々自戒も込めて。

あと、以下の川上未映子さんの記事がすごくすごくよかったのでシェア。
https://sheishere.jp/interview/201709-miekokawakami/

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