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母と娘のフジコ・ヘミング


「人生とは時間をかけて自分を愛する旅」 イングリット・フジコ・ヘミング

ドキュメンタリー映画「フジコ・ヘミングの時間」の冒頭に出てきた言葉。ほんとうにそうだ...と心で何度も頷くわたしは、今、旅のどこらへんだろうか。

先日、母とフジコ・ヘミングのコンサートに行ってきた。S席、前から4列目で「ピアノを聴いてきた」というより、伝説のような世界観を体感してきた感じだ。優しく滑らかだけれど、力強いピアノの音。ぐびぐびと飲み込むように心が美を吸収している。あぁこれは「生きる歓び」だとまで思えた。フジコ・ヘミングはまるで数千年生きている巨木のような、神秘的で圧倒的なオーラがあった。手の皺は年輪。その手だけでなんだか大事なことを語られている気がして、目が離せなかった。舞台から、おしろいのような不思議な香りも漂ってきた。今は亡きわたしの祖母も生きていたらこんな匂いがしたんだろうか。演目の最後の、リスト「ラ・カンパネラ」。涙がすうっと出た。隣を見ると母はびっくりするくらい泣いていた。

このコンサートに母と来れたのは全くの偶然だった。

某生協のチケットページで、せっかちなわたしは間違えて2枚とってしまったのである。慎重な方にはにわかに信じがたいだろうが、突っ走りやすいわたしはたまにこういうことをしてしまうのだった。1人で行く気だったのだが、2枚とれたことで一番誘いに乗ってくれそうな母を誘ってみたというわけだ。驚いたのは、わたしが中学生くらいの頃ドキュメンタリーを観てから母はずっとフジコ・ヘミングが好きだったらしい。一生に一度は聴いてみたいと思っていたらしい。これっぽっちも知らなかった。(ちなみに余談だが、チケットを取った日にとある街へ1年ぶり位に出かけたところ、画廊が目にとまった。「フジコ・ヘミングの絵たくさんあります」と表に書いてあったからだ。店の中に入り絵を鑑賞しながら上品な店主とあれこれ話していると"フジコさんのコンサートはもう何十回も行っているんです。もう高齢でしょう....行ける時に行かなきゃ、そんな気がしてね。幸せなことですね。"と言っていた。わたしのチケットの話をすると"それは、ご縁ですねぇ"と深く頷いていた。)

母は「まりこの体を借りたおばあちゃんからのプレゼントだわ」と言っていた。なぜならこれまた偶然にもコンサートの日がおばあちゃんの誕生日だったからだ。母の母。わたしの祖母。わたしが6歳のときに永遠のお別れをした人。朧げな記憶でしかないが、心の底から優しい人だった。

コンサート前、母がわたしに茶封筒を渡してきた。チケットはプレゼントしたいと言っても、頑なに代金は自分で出すという頼もしい母。茶封筒には「富士子代」と達筆で書かれていた。富士子...。面白くて、パワフルで、毒舌も冴えてる母。普段は冗談まじりの会話ばかりである。なにげなく一緒に行くことになったけれど、わたしはコンサートに母と行くべきだったんだ。わたしをこの世に生み出してくれた人のことを、改めて隣に感じるために。そんなふうに思った。

さて、ピアノを聴いている時、不思議な思いにかられた。母はまだ若くて、わたしは6歳くらい。ちんまりと座っている小さな少女が、舞台を見つめている。あれ?これはわたしか。子どもだった。芸術の力で時空が変わったのだろうか。ふと気づけばまた、38歳だった。

ピアノを聴いて感動しているのか、母が隣にいることに感動しているのか。きっと両方。65歳と38歳の母娘ふたりで肩を並べて聴けたコンサートはやっぱり「生きる歓び」だった。「自分を愛する旅」のチケットを渡してくれたのは、紛れもなく母。

おかあさん、ありがとう。粋なはからいをありがとう、おばあちゃん。

そして、コンサート帰りカフェのハッピーアワーでビールを乾杯しながら「65歳、まだまだだわ。勇気をもらったわ」(それはよかった)「子どもたちの夜ごはんどうするの」「今日は適当でいっか!」(しょっちゅう適当)なんて楽しく話しながら興奮気味に他愛のない時間を過ごしたが、それこそもまた「生きる歓び」であり、飲み干すのが惜しい人生の一瞬だった。

(冒頭の絵はわたしの6歳の娘が以前描いた絵です。以前から壁に貼ってあったのだけれど、なんだかこの文章にぴったりな気がして。フジコさんも青のお召し物を着ていました!)

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