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サンキューからの魔女修行

新学期が始まり、飛び跳ねるボールのように元気よく登校していった子どもたち。

静かで自由なまとまった時間ができたので、近所で森林浴をしてきた。
人が全然いない遊歩道を歩く。
休み明けのわたしの習慣になりつつある。

霧雨が降り出したけれど気にせず歩いた。頭には、ショパンの「雨だれ」の旋律も降ってきた。
雨が降ると反射的に聴きたくなる曲で、ここ数日は久々の雨のこともあり、染み込ませるように何度も聴いている。
蜜蜂と遠雷という映画でこの曲が流れるシーンもあって、やっぱり美しいな…と耳が歓んだ。

昔、おそらく幼稚園時代くらい、車の中で母がカセットテープでクラシック音楽や童話の読み聞かせを流していた。音楽のカセットは、曲が始まる前に女性の綺麗な声で曲名が紹介される。
こどもの耳にも覚えやすかったからか
〈ショパン 雨だれ〉
この声の抑揚だけ、今でも浮かぶ。

朝なのに少し薄暗い森はどこか神秘的で、晴れている日とも違う静謐なムードが漂っている。道端で白い(アイボリー寄りの白)蛇を見つけ、思わず立ち止まった。おそらくこどもの蛇だろう。9月早々、さっそく、いいもの見た!と思った。

森林浴を終えたあとは、図書館で興味のある本を片っ端から借りて(この夏は本の虫だった、きっと秋も)、直売で野菜を買った。
ピカピカ、ごつごつとした野菜である。
家に着いてもまだ朝の10時だった。

こどもたちがどやどや帰宅したら、
静かで整っていた部屋がいきなり賑やかになりごちゃついた。ランドセルはラックにかけてよね。プリント出してよ。はーい。繰り返される不毛なやりとりも、永遠ではないと思うと愛おしい。…と思えないときもあるけど。

息子が「今日の給食、麻婆豆腐だったんだよ。(息子の最近の好物)
めっちゃサイコー!お皿たっぷり、大盛りで食べた!!」と言って
娘も「全部食べたよ!おいしかった」と得意気だった。

カレーじゃなくてよかった!
今夜カレーにしようと思ってるからさ。野菜たくさんいれたカレー。サイコロステーキ乗せるよ。料理は、作りたい時に作ると楽しい。

今年の夏休みはいっぱい一緒にいれたね。たまに衝突して、早く夏休み終われ〜って3回くらいは言った気がするけど。今までのどの年より、意識的に一緒にいたいと思った夏だった。

本当に大好きだ。信じるか信じないかはあなた次第みたいな時代の真っ只中で、真実はここにある。
宝石みたいな気持ちをわたしにくれてありがとう。

9/1より魔女修行を開始する。

目的は怪しい薬の調合でもなく、
もちろん魔術的な研究でもなく、
夢見心地な感じでもなく
(なりたいのは魔法使いではない)

私が思う「魔女っぽい生き方」をしてみることに決めた。

きっと自然とは切り離せない存在だろう。
自然から学び、時折、神聖さに立ち返り好きなことを研究して暮らす。
家族を癒す力をもっと磨く。
日々を自分軸で過ごす。
↑出来ていなかった時期を経験して、
やっと心が決まった。

痛みが伴ういくつかの出来事と葛藤を
経験したことで(春先から夏にかけて何度か)
自問自答のチャンスがあった先に、
ああ、これだったのか という
ほんとうの望みを掴んでる感覚。(経験に感謝)
これ は変わるかもしれないけれど
さらに探求する…という日々にします。

栄養いっぱいの煮込み料理をかきまわすとき、その手からは、何が出ているんだろう。

ここが痛いとかいうこどもの体を手でさすると、痛くなくなってきた、と言う。何が出てるんだろう。

鉛筆と色ペンでなにかを描く。
わたしから何を出せるんだろう。伝えられることは何かな。

なぜわざわざ魔女修行というかというと、ごっこ遊びみたいな感覚でやりたいわけです。
ロバート秋山が演じるセレスCグロース像みたいなハッタリ感あふれる笑いの存在でもいいかと思うくらいです。

わたしらしく生きる覚悟と共に。
仲間にであえたら最高。
きっと心底楽しい魔女修行でしょう!

追伸
ママ、魔女になるわ。
と言った時の家族の反応
夫「よろしくお願いします。じゃあ、ぼくはカラスになります」
娘「◯◯も魔女になる」
息子「は?は?なに言ってるの?」
みんなありがとう。

〜もうすぐ39歳になる、9月の始まり〜

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