タブレットが使いこなせなかった話
noteを初めた時から、私の性格上コンスタントに投稿することは無理だろうなと分かっていたが早々に間が空いてしまった。
あ~これ書きてぇ~と思うことはたくさんあるんだけど、すぐに動けない。
それもこれも全部ipadを売ったせい!(にしたい)
カフェで絵を描いたり、思いついたアイデアをまとめたり、クリエイティブな活動に勤しむぞ~と思っていつかのボーナスで買った。
もちろんクリエイティブな活動なんてほとんどすることはなく、見事にインテリアと化した。
1人暮らし、1Kの狭い部屋、テレビもある。
普段、私はテレビでYouTubeなどの動画を見る。最近あるあるのようだけどテレビで動画を見ながらスマホでも動画を見る。
スマホはすごい。「今更何をいってるんだこいつ、平成の忘れ物か」と思ったあなた、馬鹿な友達の話だと思って付き合ってほしい。
まず、掌に収まって軽いし、アプリ間の切り替えも片手でサクッとできる。YouTubeを止めてインスタを見て、TikTokを見て、またYouTubeに戻ってLINEが来たら確認して…そういえばこのYouTubeもついでに○○ちゃんにシェアしちゃお~など、楽しい。
画面が小さいぶん、集中して見るので没入感もある。気がする。
縦型動画なんて推しの等身を楽しめるではないか…!最高に楽しい。
テレビはテレビですごい。あたりまえだけど画面が大きくていい。
「部屋を明るくして離れてみてね」というように離れて見るから視野が広がる。気がする。
画面を見ていても「部屋を明るくして離れて見ている」からどうしても視界にテレビの横に置いてある勢いで買ったぬいぐるみや、ダイエット目的で買ったけどトーテムポールのようにオブジェと化したストレッチポールが見える。
良い意味で没入感がないからフラットな気持ちで見れる。
どんなにヘビーなドキュメンタリーを見ていても画面の横のトーテムポール(ストレッチポール)という現実も視界に入る。
こんな世界でこんな生活をしている人がいるんだ…と思うと同時に、こんな世界でこんな生活をしている私を感じれる。気がする。
タブレットはどうだろう。
テレビとスマホの良いとこどり!なんならもうパソコン要らなくない??最高!と思って購入した。
結果、なんだか中途半端に感じてしまった。
端末によるのかもしれないけど、私の手にしたipadは片手で持つには重かった。クリエイティブな活動もしようと思っていた(していない)ので画面も大きいものだった。小さ目の物もあるのに。これも間違いだったのかもしれない。
スマホのように使おうとすると、アプリを切り替える際の手や目線の動きが大きくてやっぱり少し疲れる。
タブレット端末はテレビのように離れて使うものでもない。
顔と画面の距離はほどほど。顔を近づけて動画を見ると圧迫感がありすぎる。離れて見るなら大画面で見たい。なら、テレビでいいじゃん。と。
じゃあ文章でも打つか、と、ためにしスリーコインズのBluetoothのキーボードを買ってnoteを書いてみた。
前回までの投稿はそうしてipadで始めた最後のクリエイティブな活動だ。
私は今日この文章をパソコンで打っている。
パソコンってすごい、打ちやすすぎる。
良いキーボードを買えばまた違ったのかもしれないけど、それならもうパソコンで良くないかと思ってしまった。
結果私はipadを手放した。
今思えば私にとってのipadはクリエイティブな活動をしたくなる動機づけのような存在だったのかもしれない。現にipadを手放してからnoteの投稿をここまでさぼってしまったし。言い訳はここまでにしよう。
あいつ(ipad)も、たまに動画を映すくらいしか仕事がなく鬱々としていただろうから、きっと喜んでいるだろう。
私のような無能なご主人よりもっとクリエイティブなご主人の手元で生き生きとしていることを願う。
私の母は実家でタブレットを好んで使っている。
リビングのテレビは父親がチャンネル主導権を握っているから、寝室や和室など好きな部屋でゴロゴロしながら韓国ドラマを楽しむのにちょうどいいみたいだ。
場所も取らないし、小さなテレビとして持ち運ぶのには良いのかもしれない。
そして今気づいた。
ipadお母さんにあげればよかった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?