帯を感じて本をえらぶ

小説をえらぶ時、一体他の人はどうやって選んでいるんだろう。これは読書が大好きな私がなんとはなしにずっと感じてきた疑問です。所狭しと渦高くそびえ立つ本棚の森の中で、一体どうやって。

私はといえば、いつの頃からか帯をみて本を選ぶのが好きになっていました。本とはいっても、自己啓発本やビジネス書などの実用系の本ではなく、小説やエッセーのような、読んでみないと全く内容がわからないもの。本屋で棚の間をぐるぐる歩き回っていると、ときどき、心に響く帯に出会います。自分でも気がついていなかったような私が心から求めていた言葉。それが突然そこに現れる。帯は、その本を読んだだれかの言葉を通して、私が心の底で求めていたものを教えてくれるような気がします。私は今、どんな感情に浸りたいのか、どんな気分になりたいのか。どんな人の感情を理解したいのか、どんな人の人生を感じたいのか。じんわりした感動が、本編を読む前からぐうっと私の胸の中で重さを増していって、読み終わったあとには心に溶け込んで柔らかく広がる感覚。なんと形容したらうまく表現できるのか答えがでないけれど、私はそんな帯に出会って、素敵な本に出会う瞬間を愛しています。

もちろん、帯との対面はいつも突然です。書名や作者を探すならともかく、帯に書かれている内容をめがけて本屋に行くなんてことは、普通ありませんから。だからこそ帯との出会いは、本屋で歩き回るからこそ得られる特権なのだとも思っています。

そんな出会いを好んでいる私からすると、ときどき、寂しいこともあります。どんなに素敵な帯も言葉も「映画化!」や「○○賞受賞!」、「○○部門1位!」という文句には敵わないからです。他の本と比べた時に、ではなく、同じ本で比べた時に。どれほど素敵な言葉も、その本が映画化されたり、賞を取ったり、売上が伸びたりすると、帯でもそのことを謳うようになる。だれかの生きた言葉ではなく、大衆向けのありきたりな言葉に。もちろん、映画化も受賞も売上増加も素晴らしいことで、それを否定するつもりは全くありません。むしろ私が好きな本が多くの人にも読まれるようになることは心から嬉しいし、きっと著者の方だって嬉しいに決まっています。それでも、ふと手にとった本の帯から受けるあの感動をもうだれも味わうことができないと思うと、悔しいと思わずにはいられない。それは私が、数字や世間一般の面白いよりも、誰かの言葉に共感する人間であるだけなのだけれど。


最後に、私の最もお気に入りの帯を載せることにします。結果として私のお気に入りの本を載せることにも等しいのですが...。(実はどちらの帯の本も最近言った本屋には既に置いていなくて、私は少し寂しいです。)



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