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伝えたいことは、言葉にならないから

ほんとうに伝えたいことがあるとき、言葉につまる。

伝えたいことがあれば、言葉は溢れ出そうなものなのに、予想に反してそれは言葉にならない。

それはどうしても簡単な言葉ではおさまらず、言いすぎるのも違う、言わなすぎるのも違う、あっちをとがらせ、こっちをへこませ、何度も何度も頭の中で言葉を組み立てる。


言葉はすこし、線路に似ている。

線路は、右へ左へゆるやかに曲線を描きながら、えきに寄り、人をのせ、目的地に向かっていく。言葉もきっとそうだ。詰め込みたい思いをのせるために、曲線を描き、左右に揺れながら進んでいく。言葉を文章にするとき、口にだすとき、どの単語をひろったらいいのか、どの表現がいいのか、言い切ったほうがいいのか、控えめなほうがいいのか、すこしずつ、調節していく。なにもない地面に、やさしく手を添えて、線路を引くようにして。その道を通らなければのせることのできない何かをのせるために。その道の真ん中くらいに、伝えたいことが在るように。


結局、伝えたいのは、好きだよとか、味方だよとか、大丈夫だよとか、そんな、単純なことだったりする。
でもその単純なことをちゃんと、ほんとうにちゃんと、相手に届けるには、すこし回りくどい言葉が必要なときもあると思う。

想像する。
彼が、彼女が1週間前にこぼした一言と、あの日の笑顔、不安そうな顔、涙。なにが彼女を苦しめ、なにが彼の幸せなのか。この言葉は彼にどう響くのか、この言葉は彼女の中のどの記憶と繋がるのか。
想像する。わかってほしいのだ。彼女がどれほど素晴らしく、彼がどれほど美しいか。
感じてほしいのだ。好かれていると、味方がいると、大丈夫だと。だから何度も、想像する。


とはいえ、言葉でどうにも表すことができなくて、どんな言葉でも軽すぎるように思われて、簡単な短い言葉を、どうか届いてくれという願いとともに手渡す日もある。予期せず、なんでもないちょっとした言葉が、心に響くこともある。

実際には相手に届けてみなければわからない。わからない。わからないからほんとうに伝えたいことがあるとき、相手の顔を何度も思い浮かべて、伝わるだろうかと何度も思いを馳せながら、他のだれでもなくその人に届けるための言葉を、右へ左へ、探すのだろう。


そんなことを思いながら、伝えたい思いと言葉を組み立てることをすこしだけわきにおいて、こんな文章を書いています。


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