クレイジーな花屋さん in ニューヨーク
クレイジーな花屋さんカルロとはサッカーワールドカップが開催された日本 vs コロンビアの試合をスポーツカフェなどで見るため、日本人街と言われているイーストビレッジを友達と歩いている時に出会いました。
彼は私たちが日本代表のユニフォームを着ていたので、これから試合観るの?一緒にいい?と気さくに声を掛けてきました。
3人でウロウロとお店を探していると今度は韓国人男性が試合観るの?僕も一緒にいい?とまた気さくに声を掛けてきました。
4人になり、イーストビレッジにある牛角に入り観戦する事になりました。
試合結果は日本は完敗。でしたがとても楽しいひと時でした。カルロがいいお店があるから連れていってあげるよ!と韓国人の彼とは別れ私の友達と彼の勧めるお店に連れていってもらいました。
Trattoria Casa Di Lsacco というイタリアンのお店でした。
特別席で厨房を通って地下の隠れ家的な1テーブルしかない所に通され、エルビスプレスリーが好きなオーナーさんのようで、エルビスのモノマネさんが歌を届けてくれたりしました。
とても、神秘的な空間で3人でワイワイ楽しく盛り上がりました。
帰りはカルロと私は同じクイーンズに住んでおり、電車で帰り途中彼の花屋さんに寄って帰りました。
彼はコロンビア人、年齢は確か出会った時で45才前後だったような、この若さで一人息子と孫もいます。
コロンビアで生まれ育ち、軍隊に入ったそうです。
彼曰く、自分は優秀でパイロットだったと。
そして、ガザに赴任中に見てはいけない物を見てしまい、軍から追われるようになったそうです。
それから、コロンビアにいると命を脅かされ、アメリカに渡り飲食系の仕事やマーケティング会社で働いていたようです。
そこで、地元コロンビアでは花の生産も有名だそうです。私はコロンビアといったら、コーヒーが一番最初に浮かびますが、花の生産も盛んだそうです。
そして、地元コロンビアの花を生かして花屋をやりたいとマーケティング会社に勤めてながら、修行をしたそうです。
そして、独り立ちし40代で花屋を持ったそうです。
彼の生い立ちは決して平坦なものではなく、父親はコロンビアの市長だったそうで、銃殺されてしまったのです。厳しい母親の元で一人息子のカルロは育ったそうです。
彼はとてもやんちゃ精神旺盛、彼のマインドはいつもお金を稼ぐことお金持ちになりたい野心に溢れていました。
彼に一度言われた言葉は私たち外国人がここニューヨークで成功するにはすでにハンディがあるんだから、人一倍努力しなければ成功できないよ!と言われた事がありました。
確かにと色々な事を潜り抜けてきた彼は人生のいろんな面をみてきた事でしょう。しかし、最後まで語ってくれなかったガザでの出来事は今でも少しきになります。
いつか、聞ける日がくるでしょうか・・・。
↑クイーンズ、ロングアイランドシティーにある彼の花屋さん。
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