思い煩うことなかれ
ヨーロッパの友人たちに、「コロナウイルスで大変みたいだけど大丈夫?」とコンタクトしたところ、「大丈夫だよ。」という返事。
しかも、外にあまり出ないようにしている以外は、あまりいつもと変わらない感じ。
家の中で、できることをそれぞれ楽しんでいる感さえあります。
あまりテレビも見ないみたいだしね。
イタリア、スペインと多数のコロナウイルス感染者がでて、日本でも連日大騒ぎですが、現地の人達は多少ぼやくもののそんなにかわらない感じです。
イタリア、フランス、イギリスと住んだ経験のある私としては、今回の彼らの対応や反応は、非常に腑に落ちるものがあります。
なぜここまで広がったのかという点を、今までの経験上、私なりに考えてみました。
もちろん、人にもよるというのは前提としてですけど。
1.接触が多い。(ハグ、キス、イタリア人は声が大きいなどなど。)
2.あまり手を洗わない人が多い。(潔癖症ではない)
3.お風呂に入る回数が日本人より少ない。
でも、一番の重要なポイントは、
4.人生観の違い。
だと思う。
そもそも、あまり政府を信じてない。クスリも信じてない。余計な薬は飲まないし、余計だと思うワクチンは打たない。テレビの報道を信じてない。
それより、おばあちゃんの知恵袋みたいなのを結構信じていたりします。
さらに、自分の人生は自分で選ぶ権利と自由意志があたえられているというキリスト教の考えが大きいと思う。
それと、自分の限界を超えた場合、「神様のみ旨のままに神様に委ねる」というカトリック的な考えですね。
補足すると、この「神様のみ旨のままに」は、何もしないということではなく、自分ができる事は最善を尽くしたうえで、その後はジタバタするなと言う意味ですね。それ以上は、聖書にあるように「思い煩うことなかれ」です。
さらに、宗教的で、感覚的なことを言えば、何もできない状態で、つまり自分の器を超える以上の問題に陥いり、あれこれとドツボにはまった場合、「悪魔の誘惑がおきやすい」と感じ、警戒したりします。
これは、ピューリタン寄りだとはいえ、カトリックとよく似た感覚のある英国国教会の人たちも似たような感覚を持つと思います。
でも、ピューリタン(プロテスタント)の人たちは、「人間だけで問題を解決しなくては!」という感覚がカトリックの人達より強いように思います。(これも人によって違うし、どちらが良いとか悪いとかという問題ではありません)
もしかしたら、ヨーロッパの人たちのこういう感覚は、コロナウイルスのような疫病が流行った現代と、ペストが流行った昔とそう変わらないのかもしれません。(北欧については、また違う歴史と宗教感があるのでここでは割愛します。)
やはり、米国人とは少し違いますね。この感覚は。
そういえば、ひと昔前に、#MeToo運動が流行った時、カトリーヌ・ドヌーブが#MeToo運動のことを、「ピューリタンが言いそうなことだ」とその運動をしているハリウッド女優達をディスっていました。
個人でそういう考えだからこそ、ヨーロッパの人たちは、「政府は国民を守るためにできることを十分にやっているかどうか」を厳しい目でみますね。
一般的に。。。
海外ニュース翻訳情報局の活動資金にさせていただきます。 当サイトでは、他で発信されていない海外の公式発表を中心に翻訳する活動をボランティアで行っています。この活動をこれからも健全に続けていけるよう、どうぞ皆様の温かいご支援をお願いいたします。_(._.)_