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パートナーシップにおける雑なコミュニケーションの弊害

世の中のほとんどの、仕事や家庭内における衝突は「察してよ」が引き起こしているように思えます。

仕事なら、もっと丁寧に指示を出し、丁寧に説明し、相手を丁寧に観察すれば起こりうるミスや行き違いはだいぶ防げると思います。

パートナーとのつまらない衝突も、一言添えれば防げることばかりではないでしょうか。私は「察してよ」によって起こる喧嘩ほど、時間の無駄はないと思っています。

相手の態度に苛立ちを感じたのであれば、直接伝えれば済むことです。例えば夫に「家事を自ら進んでやってもらおう」と期待すること自体が無駄な時間だと思うのです。

妻は「これくらい気づいてやってよ」とイライラし、イライラを「察してよ」という態度でサインを送るのです。
しかし何にイライラされているかわからない夫は、その態度によりイライラし、喧嘩になります。

それこそ無駄な時間です。
「洗い物お願いできる?」の一言で、「夫は洗い物をすればいいのだ!」と理解して行動します。できないならできない理由を言うことができます。

それだけでお互いニコニコで1日を終えることができ、イライラしていた時間は夫婦の絆を深める時間に充てられるのです。


私たち夫婦が結婚する時に決めたルールの中に、「察してよ。は禁止」と言うものがあります。
人間だから感情はあります。
イライラする時だって、悲しいことがあった日だって、体調が悪い日だってあるのです。

しかし私たちはエスパーじゃない限り、相手の思っていることまではわかりません。

「今日こんなことがあってイライラしているの。少し1人にしてくれる?」「頭が痛くて喋りたくないの。怒っているわけじゃないからね。」

これが言えるだけで、相手の心がとても楽になると思います。
なんだか様子がおかしいけれど、何をしてあげたらいいかがわからない。これはとてもストレスだと思います。特に、男性に「察してよ」は無理に等しいです。「これくらいやってくれるだろう」「これくらいわかるだろう」と勝手に期待をすることもしない方がいいと思っています。

これは仕事でも同じことかもしれません。
指示を出した相手から、思ったようなものが上がってこなかったり、意図したように動いてもらえなかった時は、「これくらいわかるだろう」と勝手な期待をして、雑な指示を出しているケースが多いように感じます。

それこそ無駄な時間なんですよね。
わかるように伝えれば1回で済むのに、何回もやりとりが生じたり、イライラする時間が加わる。

仕事も家庭も一緒だなとつくづく感じます。

旦那様が思ったように家事をこなしてくれなくても、トライしてくれた気持ちに対して「ありがとう」を言いましょう。
多くの場合は女性の方が、家事が得意でなくても上手な場合が多いです。
自分と同じようにできなくて当たり前「やってくれてありがとう」を口に出して伝えれば、まず自分の気持ちがスッと穏やかになるものです。

すべての行動は、お互い善意であって義務や犠牲であるべきではないと私たちは考えています。「〇〇してあげたのに〇〇してくれない」という考え方になってしまうのも、バランスが悪いのではないかなと感じています。


私が食事を作るのは、主婦の役目だからとは思っていません。
「夫婦2人が健康に暮らしていくため」、「温かい食卓を囲んで絆を深めたい。」そんな想いがあります。
その他の家事も、2人が心地よく健康に過ごすために行っているものなので、それも「2人で暮らす」という幸せの一部だと思っています。


2人の生活の中で生じる様々な感情や出来事、それは幸せなものだけではないかもしれません。それでも長い結婚生活を豊かにしていくためには、丁寧なコミュニケーションは欠かせないものです。

一言添えたり、思っていることを相手に伝えることは、思いやりであり愛です。

不要な衝突をして気持ちがすれ違わないために…
2人の人生のビジョンがズレていかないために…


同じ船に乗った、乗組員です。
報告・連絡・相談、そして気持ちを伝えること、感謝を伝えること…
意識して行っていきたいですね。

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