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まわりの目を意識しすぎて、書けなくなるなんてもったいない。ええい、書いちゃえ。

寝る前はブルーライト断ちをしようと決めたから読書していたのに、PCを開いてしまった。なぜって、読んだ本が、ゆぴさんの「書く習慣」だったから。いてもたってもいられなくなったから。

もはやちょっと嘘ですよね、これって。

47ページを開いた瞬間にこの言葉がパッと目に飛び込んできて、ううーと唸ってしまった。
「誰かに見せる文章」と意識すると、マイルドになる。つまらなくなる。本音じゃないから、楽しく書けなくなる。ここ数か月の息苦しさは、これが原因だったんだ、って気づいた。

そもそもnoteを始めた理由は、なんでもいいから自由に書きたいと思ったからだった。思い出した。なんで忘れていたんだろう。

わたしは編集者だから、普段からたくさん文章を書くけれど、それは「正確な情報」が載っている「顧客を動かすための文章」。
仕事から離れて、自分の日記に書くように自由に表現したい。ありのままを書きたい。そう思ってnoteのアカウントを作ったんだった。

なのに、書けなくなった。
今年、出産の代筆屋「つむぎや」のサービスをリリースして、わたしはSNS上で「つむぎやのあんどうまりこ」になった。うーん、正直、なったのかわからないけれど、ブランディングとかマーケティングとか、とにかく「どうみられるのか」を意識しすぎて動けなくなってしまった

信頼される文章じゃないと。
誰かの心を動かす文章じゃないと。
「つむぎやのあんどうまりこ」らしい文章じゃないと。

そうやって自分自身を縛って、気軽に発信ができなくなって。それでも、わたしの人となりを知ってもらいたくて。「文章では難しいから、音声ならいいんじゃないか」と、stand.fmをきのうから始めた。

でも、大切なのはそこじゃなかったんだな。
迷走しすぎだな。

誰でもなく、「自分のため」に書いていい。

あたりまえかもしれないけれど、誰も言ってくれなかった言葉を、ゆぴさんが投げかけてくれた。

もちろん、お仕事で書く文章は、きちんと対価に見合う(というか期待以上の!)仕上がりになるよう全身全霊をかけて書いているし、これからもそうするつもり。
だけど自分のために書く自由さを残しておきたい。それがわたしのやる気の源だから。

あー、なんでわたし、予約してまで買ったのに積読してたんだろ。

みんな、早く読んで。


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