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書くことについて書くこと

書くことについて書くことと、ただ書くことには違いがある。「書く」ことを単純に考えると文字を道具で紙や機械の上に入力することになるだろう。それ以上のことではない。そうであるから、文字を形として表現することができれば、それで書いたことになりそうである。

猫がキーボードの上を歩いたとしても、それは書くことだ。猫は書いたつもりはないかもしれないが、文字は書かれた。一方、人間の場合は、書くときには考えつつ言葉を選んでいる。その時に頭の中では何が起こっているのか知らない。という点では猫が気ままにキーボードを踏むのとそう変わらないかもしれない。

考えて書くことが必要なのは、人間同士で、考えをすり合わせるためである。ここがキーボードをランダムに踏むのと異なっている点だ。考えることで、人間らしい文章になる。意味の区切りで段落を設定し、文法を整える。さらには、読んでいる人に面白さを感じられるように工夫したりする。そうした言葉を選ぶための基準をを満たすように書くことが考えて書くことだ。その背景には「文章とはこういうものだ」という考えを他の人と共有したいという思いがあるだろう。そうした暗黙の文章についての感覚を満たすために考えて文章をかき、文章を読む。

書くことと、文章を書くことの違いはここにある。猫がキーボードを踏む行為はただ、文字を書くことである。試行錯誤して、人が書くそれは、文章を書いているのだと言える。彼は、文字列を作業的に入力しているわけではない。そうした意味では文字と、文章は似て非なるものである。

しかし、「書く」ということは共通している。文字も、文章もどちらも書く行為の対象になるものである。

その観点から、「書くことについて書く」と考えてみる。

「書くことについて書く」。その結果、書かれるものは文章である。私は考えながらこの文章を書いているし、その結果には一連の文章が出来上がるだろう。

では「書くことについて書く」における「書くこと」はどういったものだろう。これもまた文章を書くことだろうか、あるいは猫がキーボードを踏むように出来上がる文字を書くことについてだろうか、それとも純粋に、ただ書くことについてのことだろうか。

文章を書くことについて書くならば、文章の上手な書き方や文章を書いている間の心情について書くようなことが思い浮かぶ。あるいは、猫がキーボードを踏むような文字を書くことについて書くならば、それはキーの打ち方や、使っている道具など物理的な書く作業についての話になるだろう。

しかし、それらに加えて「ただ書くこと」という選択肢が加えることができる。これは、「書くことについて書く」からこそ考えられる選択肢である。「ただ書くこと」は、具体的な行為として思い浮かべるのは難しい。どうしても書いている時には、必ず何かを何かで書いているのだ。純粋に「書くこと」だけを取り出して実行することはできない。

しかし、書くことによって、書くことについて書くことが可能になる。

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「〇〇について書く」ことは、抽象的なことを抽象的なまま扱わずに、文章という具体的な形を与えることである。「今日の出来事について書く」あるいは「自分の夢について書く」などというやり方で、「〇〇について書く」ということの中には抽象的な内容を入れることができる。

そう考えてみると、書くことによって初めて「ただ書く」ということを手に取ることができるようになると言える。

「書くことについて書く」を、「ただ書くことについて書く」と言い直して考えてみる。ただ書くことについて書く、とはどういうことか。もう一度言うが、それはまず文章を書くことである。「ただ書くことについて書く」の最後の「書く」の部分である。結果的にできるのは文章である。

その文章において語ることが、「ただ書くこと」という抽象的な行為だ。文章を書くことで、抽象的なことを具体的に書き表す。

「ただ書くこと」という抽象的な動作をそれだけで取り出すことができないから、「書く」ことによって「ただ書くこと」を取り出して考えるのだ。

これは、考えることの一つの方法である。抽象的なことを扱いたい場合、私たちはそれを考えやすくするために言葉を使う。現実の世界では考えにくい、あるいは考えられないから、言葉の世界で考えているのだ。私たちはそうした世界間の越境を、ごく当たり前に行っている。

そのように取り出された純粋な「書くこと」は具体的な要素は削ぎ落とされている。どのように書くのか、何を書くのか、それらは関係なく、ただ「書くこと」という言葉の意味だけが残る。

その時に、「書くこと」は文章や文字から自由になれる。

例えば何かを線形に並べてゆくことを「書く」とするならば、私たちは時間という線形な流れの中で一日を並べている。これは日常を書いているのだと考えることができる。日常はまさに、書きながら考えられる文章である。そして、長編小説のように様々な意味が重なり合う。書き進められるたびに意味が変わり、その時々の味わいがある。

「書くこと」とはなんだろうか。文字と文章はどう違うのだろうか。文字や文章以外にも私たちは何かを書いていないだろうか。と問いかけることは「書くことについて書く」ことだろう。そうすることで、「書く」ことの可能性を探していきたい。文章にも、文字にも言葉にもとらわれない「書くこと」がきっとある。



最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!