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劇場版“鬼滅の刃”!使命や信念を持つ強さとは

鬼滅の刃の映画、
ものすごく話題になっていますね。

特に、この映画のキーパーソンになった
煉獄(れんごく)さんの魅力が、
多くのところで語られています。

炭治郎たちと共に戦う中で、
煉獄さんが見せる、戦う者としての在り方や、
かける言葉なの数々、リーダーシップが、
「兄貴力」「上司力」のお手本として
語られてるみたい!

そんな話題が、気になって、
さっそく観に行きました。

前段でどうでもいい話なんですけど、
私は自宅にテレビがないので、
主にAmazonPrimeやNetflixなど
動画配信サービスの利用になりますが、
今流行りで有名どこのエンタメ、
キャッチアップしておきたくなるんです。

・梨泰院クラス
・愛の不時着
・タラレバ娘
・NiziUの虹プロジェクト
・バチェロレッテ

あたりは見ました!

たぶん、
ベリーダンスが
結構マイナーな分野になるので、

なんかメジャーにも触れていたい
っていうか、両極をみたい、
という願望があるのかもしれません。



劇場版:鬼滅の刃を観に行って・・

多くの記事に書かれていたように、
煉獄さん、本当に魅力的でした!

が、今日はちょっと違うテーマで
私なりの学びを書きたいと思います。

テーマとしては
「使命」や「信念」を持つ強さ。

最後の方のシーンですが、
煉獄さんが、突然出てきた、
鬼ランク超超強い鬼と戦うことになり
もう、負けがほぼ確定・・・
という段階の時に、

その戦っている鬼から、
「お前は、超絶強い男だ。
だから、鬼の仲間にならないか?」

という風に、
いわゆる鬼の世界に勧誘されます。

それを承諾すれば、
この命は助けてやるってことですね。


「鬼滅の刃」のストーリーの中では、

・人間は、いつか老いて死んでいく存在。

・鬼は、人間を食べて殺しながら、
ずっと生きながらえ、強くなり続けることができる。
(首を切られたり、
 日の光に当たったら死ぬって条件だったかな?)

という風に描かれています。

煉獄さんは、この時、
自分の命が助かりたかったら、
「鬼になっちゃう」という選択もあったはず。

でもそうしなかった。
「断じて、俺は鬼にはならねえええええ!」

と、強く言うんですね。

それはなぜか?

煉獄さんは、幼少の頃、
病弱のお母さんから、かけてもらった言葉があります。

「私はもう、死んでしまうけど、
強くたくましく、育ってくれたあなたを誇りに思う。」

と言ったのちに、

弱き人を助けることは、
強く生まれた者の責務です。

責任を持って果たさなければならない
使命なのです。

と言うんです。

大好きだったお母さんの教えを、
煉獄さんはずっと胸に刻んでいて、
それで鬼殺隊の中でも、
最強の「柱」という存在までたどり着く。

心を燃やして、命が尽きる瞬間まで、
人間を救い続けたんです。


であれば、たとえ
その場で命が助かったとしても、
「鬼になる」という選択はないわけで。

煉獄さんの「使命」が
”命が助かるなら、鬼になってしまえ”
という、選択肢から引き離したんです。

使命こそ、「命」なのですね。

炭治郎のシーンもありました。

炭治郎たちが、
戦っていた鬼によって、
催眠にかけられてしまった場面がありました。

その際、炭治郎の夢の中では、
本当に幸せな映像が出てきて、
殺されてしまったはずの家族が
全員生きていて、
笑いの絶えない何気ない日常のシーンがあります。

炭治郎としては、このまま
夢の中にとどまっておけば、

現実世界の中で、鬼殺隊としての
厳しい鍛錬や、数々の戦いや
悲しい別れなど、もう苦しい思いをしなくてすむ。

だからもし、
弱い心があるのだとしたら、
「このまま起きたくない。眠ってしまおうかな」
(戦い続けることを諦める)

って思うのが、

人間として当然だと思うのです。


けれどそもそも、炭治郎が、
鬼を殺す、鬼殺隊にジョインするきっかけとなったのが、
自分の家族が、ひとりの妹(ねづこ)を除き、
仕事で留守にしている間に、全員惨殺されてしまった。
という経験からくるのです。

さらには、ねづこも、
鬼にされてしまった。

普通の女性として生きられなくなって
日の光を浴びると死んでしまう鬼の特質から、
日中は炭治郎が背負う木の箱の中に
とじこめられて生活しているんです。

だからこそ、炭治郎には
強い使命がある。

「このまま夢の中にいたら楽なのに」

と言う気持ちを、振り払って
きちんと現実世界に戻り、
再度、鬼と戦うことができました。
多くの人の命を救うことができました。





この二つの事例をみた時に、
「使命」や「信念」を持つことは

何かの道を選ぶ際、
自分を守ってくれる強さになる

ということを感じたのです。

自分にどう活かせるか
まだ言語化しきれていないので
すごく低俗な話になりますがw

「自分は、美容家として、
女性の鏡になるために、
これくらいの体型を維持しておかねば!」

という、使命感がある美容家さんがいたら、

夜中にシメのラーメンを
食べ続ける、なんて選択はしないはず。

ただ、そこまでの強い使命がない
私みたいな人は、
易きに流れてしまうわけです。

このように、ゆずれない使命や信念は、
誰もが、すぐに出会えるかというと、

もしかすると炭治郎のように、
苦しい経験から生まれることも多いのかもしれない。

けれども、これを意識して
自分の中で、小さくてもいいから
様々な使命を育てていくことで、
より良い選択を積み重ねることができ、
強くなっていけるのかも、と思いました。

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