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大川隆法著「真実を貫く」ポイント解説⑧

この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

本日は新刊、大川隆法先生の最新刊「真実を貫く」のポイント解説に挑戦する回になります。

少しずつ進めていく予定ですが、皆様どうか温かくお見守りください。



「真実を貫く」

「真実を貫く」は、2024年2月16日に発刊された大川隆法先生の最新刊です。

「この一冊が、世界の羅針盤となる――」

迫りくる世界情勢。核戦争など、地球レベルの危機を乗り越えるための、人類の進むべき未来を指し示す一書。

2050年までの未来をどう構想すべきかも語られます。

第7回目の今回は、第3章「地球の危機を乗り越えるためにー『地獄の法』講義ー」より、第3節「地獄にさまざまな責め苦がある理由」のポイントをご紹介させていただきます。


どの地獄も「自分は霊体だ」と分からせるためにある

・釜茹で地獄

例えば、「釜茹で」とかがありますけれども、「釜で煮られる」などという地獄もあります。

結局これも、釜茹ではきついなとは思いつつも、やはり、肉体を「自分だ」と思っている人に知らしめるためには必要なことであり、「自分は霊体なんだ。肉体じゃないんだ」と思えば、本当は熱くなんかないのです。
けれども、「自分は肉体だ」と思っていれば、「これは茹だって大変なことになる」「熱いな」と思うのです。

釜茹で地獄……!聞いているだけで熱そうですが、本当は霊になっているために、「自分の肉体はもうないんだ」と思えば、熱くないそうです。

まだ死んでない!自分は何も悪いことしていない!助けてくれ~!と思っていると、きっととんでもなく熱く感じられるのですね……!


・針の山地獄、血の池地獄

針の山もそうです。
「針の山を上がらされる」とか、「針だけではなくて刀剣みたいなものが生えている所も、鬼に追い立てられて歩かされる」とか、そういうときもあるし、血の池地獄でも、泳いだり、浮かんだり、沈んだりすることもあります。

針の山地獄、血の池地獄……。

想像するだけで恐ろしい世界です。

でも、これもまた、「自分はすでに霊であり、死んでもしなないのだ」ということを分からせるために存在しているのだとか。

どれもこれも、やはり、「肉体中心のものの考え方」をしている人の考え方を改めさせるためにあるのです。
「死んでも死なない」ということを分からせるためにやっているということです。
つまり、最初の段階の悟りを得てもらいたいために、そういう現象が出てくるということです。


・黒縄地獄

例えば、「黒縄地獄」というものがあります。
「黒い縄」と書きますが、墨縄のことです。
昔の大工さんが使っていたもので、柱にピシッと墨縄で墨を打って、それに沿って鋸を挽いていたというのがありますが、昔の仏典を読めば、黒縄地獄では、そこに堕ちた人の身体に墨縄でピッピッピッピッと線を張っていって、それに合わせて鬼が鋸で挽くということになっています。


・病院型の地獄

とはいえ、「黒縄地獄で五百年鋸挽きの刑」とか言われたら、挽かれる方も大変だけれども、鬼のほうだって五百年も鋸で挽くのは大変で、そうとうな体力仕事であり、プロレスラーだって無理です。
こんなのはとてもではないけれどもできません。

そのため、ちょっと近代化しているところでは、「病院型」のものが入ってきてはいます。
こういうところは機械がないと言いつつも電気鋸とかが入ってはいるのです。
病院を経験されている方は、頭蓋骨をくり抜いたりするのに電気鋸でやっていますから、それを知っている人のところには、ちょっとそういうものが出始めてはおります。


・地獄では「恐怖心」で、痛みや苦しみの世界があるように見えている

ただ、基本的には一緒で、本当はそういうものはないのです。
ないのですが、恐怖心でそういうものがあるように見えているだけのことなのです。

不思議なことですが、地獄に堕ちている人は「恐怖心」によって、痛みや苦しみの世界で大変な目に遭っている、という錯覚を得ているようです。

生前、自分が犯した罪への罰を受けている部分もあると思いますが、それにしても、「本来自分が霊であり、肉体がないなら、痛みは感じないはずだ」という悟りが得られれば、痛み・苦しみは感じられなくなる、というのは驚きですね。

まさしく思いがすべての世界が、霊界なのでしょう。


お金はあの世には持って還れない

私は「成功の法」も説いていますし、お金儲けのやり方もいろいろありますけれども、「お金はあの世に持って還れない」というところだけが残念なところでしょう。
お金はあの世に持って還れないし、閻魔様に賄賂を渡して許してもらうというのは、できないことになっているのです。
残念ですが、この世でいくら蓄財しても、それを持っていって閻魔様に渡して「許してくれ」というわけにはいかないことになっています。

だから、お金儲けは楽しいし成功感はあるけれども、「死んで持って還れないものだと知って、やってください」ということです。

よいことを続けていくためにお金儲けをして、「この世で生きている間、社員の方々やいろいろな方々が生業を立てていくために、黒字が出て給料が出るのはありがたいことだ」と感謝を持って生きていけばいいけれども、「最後は持って還れないぞ」ということは知っておいたほうがいいでしょう。

この世に生きている間、勤勉に働き、正当なお金を稼ぐことは善です。

努力してお金を稼ぎ、成功していく。

そのなかで多くの人を幸福にしていく。

これはとても素晴らしい愛の循環だと思います。

ただ最終的には、「死ぬときにはお金は持って還ることはできない」、ということは理解していく必要があります。



・お布施を出す行為は、一つの修行として存在する

「お布施」とか「植福」とか、そういうものは一つの修行なのです。
自分の持っているものを、十分の一であろうが、幾らであろうが出すというのは、やはり損した感じになりますから出したくはないでしょう。

だから、「お布施を出す」ということも、修行の一部なのだということです。
修行としてやっている行為であるので、「いわゆる、消費者庁が監督するような消費行為ではない」のです。

お金はあの世に持って還れないのに、なぜ「お布施」が存在するのか。

あまりなじみがないかもしれませんが、お布施と言うのは、神様に感謝の気持ちを捧げたり、努力・精進の誓いを示すチャンスでもあります。

誰もがお金は手元に置いておきたいものですので、そこを手放すことが、「執着を断つ」修行に繋がるそうです。

(※ただし、祈願をするなら、祈願を行う側も、祈願する側も真剣勝負で。
神の名前を使い、高額なお金を巻き上げる悪徳商法には賛成できません。)


・祈願の心構え

例えば、正月元旦に神社に詣でて大学受験の合格祈願をしたとします。
ぜひ受かりたいから、普段より奮発して一万円をお賽銭箱に投げ込んだ。ところが、三月になってみたら一校も受からなかった。
「いやあ、けしからんことだ」ということで、神社へ行って、「こらあ、金返せ。祈願したのに受からなかったじゃないか。これはもう詐欺だ。返せ!」と言っても、これは通らないのです。

なぜ通らないかというと、それは、やはり、「本人の努力」、それから「客観的な実力」や「他の人もまた努力しているということ」を認める立場から決まっていくことだからです。

祈願をすること自体は悪いことではありませんけれども、神に誓って努力する姿勢が大事なのです。

そして、来た「結果」に対しては真摯に受け止めて、勉強不足であったのなら勉強不足であることを反省して、さらなる挑戦をするなり、自分を生かせる別の道を選ぶなりすることです。

それを選べという神意が出ているのです。

祈願をすることは素晴らしいことです。

神様に誓ったり、合格や安産を祈ったりすることで、見事人生の試練を乗り越えることもあります。

ただ、結果を出すことも大事ですが、一番大切なのは、神に誓って努力する!と決めた自分の真剣な姿勢です。

その姿勢があれば、必ず天からの支援が及びます。


・法律は変えられても、地獄の「法」は人間心では変えられないので注意を!

こういうものなので、法律万能主義だけで「法治国家では、法こそ神である」という感じで思っているのだとしたら、「それはちょっと違います」ということは言っておきたい。
『地獄の法』の「法」は、国会で作っている法とは違うもので、「変えられない法」です。
”人間がつくった法”は多数がつくれる法です。
この辺に気をつけていただきたいなと思います。

誰がなんと言おうと、地獄は存在し、「善悪」の判定も下される、ということは、皆さんくれぐれもお忘れなきよう……!



今回はこのあたりまで。

最後までご覧くださり、心より感謝いたします。



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