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リーダーの資質③「リスクを恐れない決断力」【1】(リーダーに贈る「必勝の戦略」解説④)

この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

新たな試みとして、大川隆法先生の書籍「リーダーに贈る『必勝の戦略』」のポイント解説に挑戦していこうと思います🌷

少しずつ進めていく予定ですが、皆様どうか温かくお見守りください。



「リーダーに贈る必勝の戦略」


(引用:Amazon

職場をはじめ、さまざまな場面で、高度なリーダーシップが求められる現代。

本書では、リーダーシップを革新し続けるポイントが示されます。

  • フォロワーを惹きつける資質

  • リーダーシップ不足の意外な原因

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著者が実戦で使い込んだ、成果を生み続けるための13の指針が、あなたを夢の実現にグッと近づけるでしょう。

リーダー論として、経営者にも、そして主体的に活動をしているすべての皆様におすすめの内容となっています。

それでは、今回は第1部第3章のポイントをご紹介させていただきます🌷


◎第3章 リスクを恐れない決断力

「宋襄の仁」に見る、自滅型リーダーの特徴


・「宋」と「楚」の戦い

いまから二千六百年ぐらい前(孔子の時代よりも少し前で、釈尊の時代とも重なっているかと思います)、中国の春秋時代の話です。
そのころ、いろいろな国が割拠して覇を競っていたのですが、そのなかに宋という国があり、そこに、君主と言ってもよいけれども、襄公という方がいました。
宋公、あるいは宋襄ともいいます。
そして、いわゆる「宋襄の仁」ということが、「義」の部分と「仁」の部分との判断が非常に分かれるテーマなのです。

その宋の襄公は、突如、天下の覇者への夢を抱きます。
その結果、ある程度の成果を収めるのですが、隣の楚国と戦っているとき、敵の大軍が川を渡って攻めてきました。
相手の国は非常に大軍で、自国の軍のほうは少数です。

そこで、敵が川を渡っている途中に、襄公に付いている軍師が、
「川を渡っていまを狙いなさい。いま襲わなければ駄目です」
と進言するのですが、襄公は聴かないのです。

「相手が川を渡り切っていないのを襲うというのは、仁義にもとることだから、できない」と言います。

やがて、相手の軍隊が川を渡り切ったので、「では、いま襲いなさい」と軍師が言うのですが、今度も首を横に振らないのです。

「川は渡り切ったが、まだ陣形が整っていないではないか。

陣形が整っていないのに戦いを挑むというのは、やはり礼儀にもとる。

武人として恥ずかしい。

相手の弱みに付け込んで戦うのを潔しとしない」と言って、まだ聴きません。



そして、いよいよ相手の陣形が整ってから戦いを挑んだら、さんざんに負け、味方は大勢死んでしまい、敗走します。

襄公は、ほうほうの体で逃げて帰るのですが、股に傷を負い、そのあと、それがもとで死んでしまうのです。

「宋襄の仁」

相手が攻め時にもかかわらず、「いま襲っては相手の弱みに付け込む形になるので、失礼にあたる」と攻めるの避けてしまう襄公。

その結果、体制の整った相手軍からさんざんにやっつけられてしまい、味方に大量の死者を出してしまったそうです。

襄公がお人よしすぎたために、敵の死傷者を出す代わりに味方の死傷者を出してしまったという悲劇。

この故事から、私たちが学ぶことも沢山ありそうです。



・襄公には何が足りなかったのか?

これが「宋襄の仁」とよく言われるのですが、これについて、後世、評価が分かれています。
儒教、要するに孔子の教えを引く人たちは、「これが仁者でなくて、いったい誰が仁者であるか」という、プラスの評価をしているのです。

ところが、軍事的な面を認める系統の人たち、つまり法家などの思想の人たちから見れば、
「これは仁者でなくて愚者である。味方をそれだけの危機に追いやり、自分自身も死ぬようなことをしていて、何が仁か」ということになります。

儒教的に見れば、敵にも愛の心を向けるような「仁」の塊で、人徳者のようにも称賛される襄公。

しかし、軍事的な思想家から見たら、味方を危機に追いやった「愚者」に当たります。

人格者としてその人を見るか、軍事的リーダーとしてその人を見るかで、その評価は真っ二つです。


この襄公という方は、どちらかというと、宗教的な人だったのでしょう。
宗教家になれば成功したのかもしれませんが、君主になったがゆえに、そういう悲劇を生んだのでしょう。

相手の数が少なければ、その考えも分かります。
しかし、敵は大軍で味方が少数なのです。
そのため、まともに戦ったら負けるのは決まっています。

そういう軍隊しか持っていないのに、覇者への野望を持ち、さらに、そういう仁を発揮するというところに、知の足りなさを感じるのです。

仁は仁なのですが、智慧が足りないのではないかと思います。

襄公には、確かに思いやりもあるし、優しさもあるし、後世、ほめられる部分もありますが、智慧が足りないがために、結局、自分も死んだし、味方も全滅に近い状態になったわけです。

この辺が非常に難しいところなのです。

敵が大軍で、味方が少数の場合は、敵に情けをかけている場合ではない。

襄公は思いやり、優しさなどの人間としての美徳があったとしても、大勢の人を路頭に迷わせないための「智慧」が不足していました

この襄公のような失敗は、現代の経営者でやってしまった場合、大量リストラや会社の倒産という事態を引き起こしてしまいかねません。



・極端な理想主義者の弱み

みなさんは、「他人事だ。二千六百年前のことだ」と思っているでしょうが、実を言うと、みなさんも、このようなことを毎日やっているのです。
たとえば、マイナスのことをあらかじめ言ってしまう人が大勢いるでしょう。

こういう人が会社の営業部長などをすると、
「うちは、来月、倒産しそうなのです。ひとつ、商売をよろしくお願いします」
というようなことをペロッとしゃべってしまうため、向こうは逃げていくわけです。

人柄はよくても、宗教的人格のなかには、そういう弱いところがあるので、自分のなかに、もしそういうところがあったら、少し気をつけてください。

自分一人ならまだよいのですが、場合によっては、大勢に迷惑がかかることもあるので、
他人にまで迷惑をかけるときには、少し考え直した方がよいと思います。

「宋襄の仁」での襄公ほどの過ちではなかったとしても、日常のふとした時に、自分のちょっとした弱気から、大勢に迷惑をかけてしまう場合があります。

人柄的に良い方、いわゆる宗教的な人格の方のなかにも、「良い人」だけれども、その判断が経営的には大勢の人に迷惑をかけてしまう、という場合もあるようです。

「いい人」と「仕事ができる人」は違う、という説がまことしやかに囁かれるのも、このためでしょう。


こういう「宋襄の仁」のタイプの人は、現代的に現れたら、どのようになるかというと、一般的に「非武装中立論」などをよく言いたがる傾向の人たちになるでしょう。

「たとえ敵が核兵器を撃ち込んできても、丸腰でじっと我慢するのだ」というようなことを言うかもしれません。

そういうタイプの方は理想主義者なのですが、極端すぎて、現実的な危機を、ほんとうは救ってくれないところがあるのです。

「宋襄の仁」で学んだ襄公のような人が政治家をすると、

「核兵器が撃ち込まれても、戦争になってはいけない。だから何も武装せず、じっと我慢するのみだ」という考え方(非武装中立論)に近づくのではないか、とのことです。

平和主義も理想としては良いのですが、現実的に危機が迫っている時に、何の対応もできないようなリーダーになるのは良くありませんね。


このことから、経営者・リーダーにおいても、「敵が大軍で味方が弱小なのに、敵に遠慮しすぎていい人ぶっているうちに、味方に被害が出てしまう」という傾向を持たないよう、注意が必要です。


本日の解説はここまで。

次回は、「決断力を高める2つの武器」についてご紹介します!

最後までご覧下さり、誠にありがとうございました🌷



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