物自体を見る、ある。
3年ほど前に不思議な体験をした。
いつもと同じように台所で夕飯の支度をして、そろそろ家族を呼ぼうとしていたところだった。
テーブルの上を拭くために台布巾を洗って絞り、それでテーブルを拭いた。
拭き終わって次は…と、次の動作に入ろうとテーブルのから顔を上げたときだった。
目の前に、いつもそこに置かれているプリンターが、
今日もそこにあったのだ。
…お分かりいただけるだろうか。
「あった」のである。
「なんだ、いつもそこに置いてあるプリンタなら、その日もそこにあるのは当たり前じゃないか」
と、思われることだろう。
しかしわたしはこう感じた。
「ああ、プリンタがあったんだ」
と。
それはいつも見ているプリンタと全く同じようでいて、全く違うものだったのだ。
たとえると、
顔に肌色のストッキングをかぶって芸をする人を思い浮かべてほしい。
ストッキングは目が細かいので、顔に被ったことがある人はわかるかもしれない(わたしはやったことがある)が、案外普通に呼吸もできるし、結構よく見える。
けれど、ストッキングを勢いよく取ってみると、
新鮮でハッキリした世界が見え、やっぱりストッキングごしの世界は「よく見えないな」という感想になるだろう。
そのように、何十年という覆いが取れたような感覚に、わたしはなったのである。
ストッキングを被り続けて生きてきた、というと滑稽なのだけど、本当にそのような感覚になったのだ。
その直後に、なんとも不思議な嬉しさが込み上げた。
そうか、プリンタだけでなく、
おそらく世界全てが「ある」のだと。
この体験については、
エックハルトなどのスピリチュアルな指導者が類似の体験について綴っているが、
わたしのそれはエックハルトのそれと違うのだろうか、同じなのだろうか。
その後、わたしは今現在、スピリチュアルな指導者ではないし、この体験を人に話したのはこのブログが初めてだ。
話すほどの価値がないとも思う。
思い込みかもしれない、しかし思い込みにしては喜びの度合いは深い。
あのときのことを思い出すと、今同じことが起きたかのように、また同じ気持ちになる。