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separation

私は怒っているのだ。

未だに怒りを抱えているのだ。

だから未だに同じところをぐるぐると回っているのだ。

この怒りが昇華されない限り、私は先へ進めないような気がする。

先へ進む、つまり幸せではない今から抜け出し、幸せな心の状態で幸せな現実を手に入れている場所へと、いる場所を変えること。

幸せな心の状態というのはどんな状態かというと、

誰かといて、安心していられる状態だ。安心して信じていられる人。この人は私のことを愛してくれている、と完全に信じていられる人。そしてその人は私の愛する人でもある。

幸せな現実を手に入れている場所というのはどんな場所かというと、

その人と、普通に、ありふれた毎日を過ごしていること。そこには安心感があり、信頼があり、委ねることができ、頼ることができ、甘えることができ、私の言うことを聞いてもらえ、気持ちをわかってもらえ、私の存在を、ひとりの価値ある人間として認めてもらえている場所。

そんな、どうしようもなく基本的なこと。

そうだ、だからそれは、仕事のステップアップではない。収入が増えることではない。有名になることではない。

心の安心が欲しいのだ。

私は存在していてもいいのだという安心感。

私の存在は他の人と同じように価値あるものなのだと思える安心感。

そんな感覚を欲して、これまでずっと生きてきた。

それならなぜ、それらと真逆のものを私に与える人ばかりと出会ってきたのだろう。

私にそれらの安心感を与えてくれただろう人たちも、私の前に現れたこともある。だが私はその人たちには興味を抱かなかった。魅力を感じなかった。

私が魅力を感じたのは、それらと真逆のものを与える人ばかりだった。

そしていつも傷ついていた。

もしかしたら私は、そんな不安定な状態に自分の身を置くことを、本当は、自分でも気づかずに、楽しんでいるのかも知れない。

慣れ親しんだスリル。

刺激。

そう、安心感のない状態、それはスリルだ。崖を登っているような、綱渡りをしているような、先の見えないジェットコースターに乗っているような、不安とスリル。

そんな感覚を自分に絶えず与えていないと、退屈でいられないのかも知れない。

安心感、それは私にとって、退屈極まりないものなのかも知れない。

その退屈な安心感の中にいたら、なにをしていいかわからないのかも知れない。

危険なスリルの真っ只中にいれば、真ん中を見なくても済む。そんな暇はない。

真ん中、つまり私自身だ。いかに私が、つまらない、無価値な人間かという(思い込みの)現実から、目を背けていられる。

そんな、注意を紛らわしてくれる最高のスリルのない、穏やかな春の日の草原のような、波のない、音もしない、人のいない夏の静かな浜辺のような、穏やかな場所に誰かと佇んでいるのは、落ち着けないのだ。

そこにあるのは自分自身のみ。

なにか言わないといけない。なにかしないといけない。

そうしなければ、つまらないと思われてしまう。

愛想を尽かされてしまう。

飽きられてしまう。

嫌われてしまう。

そんな思いが根底にあるのかも知れない。

またここへ帰ってきた。

最終的にはいつもこれが答えなのだ。

自己肯定感。

自分で自分を認めること。

私は価値のない人間ではないのだと、自分にわからせること。

そうだ、私はつまらない人間なのかも知れない。

ならそのつまらない人間とでも、一緒にいて気が合う人がいるはずだ。

誰かに気に入られるために、自分ではない人間にならなければと必死になる必要はない。

この自分のままでいて、それでも愛してくれる人がきっといるはずなのだ。

周りを見回せば、美男美女のカップルばかりではない。性格に何の欠点もない人だけが結婚しているわけではない。

それなのになぜ私は、すべてにおいて完璧でなければ愛されないと思うのだろう。

私が私のままでいては愛されなかった過去。

どんなによくできても、どんなに頑張っても、どんなに力が伸びても、決して充分ではなかった。決して認めてもらうことはなかった。それでも欠点を見つけられた。人と比べられた。私はいつまで経っても、なにをどう頑張っても、ダメなのだった。

たとえ、私が完璧になれたとしても、あの人から完璧の賞賛をもらうことは決してないだろう。

もういい加減に、あの人の基準で生きるのはやめて。

あの人からの愛を求めるのはやめて。

あの人に認めてもらうのを待つのをやめて。

もう子供の頃の私じゃない。

いつまでしがみついているの。

与えてもらえなかったものを、絶対に手に入れてやるんだと躍起になって追い求め続けるのはやめて。

間違っていたのはあの人のほう。

人を愛せない、可哀想な、惨めな、小さな、不幸な人。

私はあの人を超えて行ってもいい。

あの人を置き去りにしてしまってもいい。

あの人を置いて、私は幸せをつかんでもいい。

「私がついてるからね」と彼女の手を握って言ったのは、子供の頃の私。

私があの人の元にいる限り、

私がたとえ不幸でも、あの人を超えて、置き去りにして、行ってしまわない限り、

あの人は安心していられる。

自分よりも不幸な人間がここに一人いるのだと思うことで。

あの人を一人不幸の中に置き去りにして、私だけ幸せになったら、可哀想だと思っていた。


もう終わりにしよう。

自分から握っていた手を、離してもいいんだと自分に言ってあげる。

あの人が不幸なのは私には責任はない。

あの人の気分を良くするために、自分を不幸なままにして、犠牲にする必要はない。

あの人を置いて幸せになっていい。

自分は幸せになると決めなさい。

自分勝手になって、自分だけ幸せになっていい。

自分で自分を不幸なままにしておいて、それを人のせいにするのはもうやめなさい。

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