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私はネアカ生まれ、メンヘラ経由、ネアカ返り咲き。

昨夜もスナックに立った。
常連さんが仕事の愚痴を吐きたくてお店にやってきた。職場の人間関係が主な不満のタネのようだった。

生きていると、色んな困ったなぁー、がある。
いろーんな人が、いろーんな思考のもと生きている。
それが社会。

いろーんな人が、いろーんな感情の持ち方をする。
誰しも言いたいことを適切に伝えられているとも限らない。生きてきた中で育んだ言葉の引き出しの充実さによって左右されるところも多分にある。

私も今でこそ感情のコントロールがある程度出来る様になったけれど、元々はクッッッッソメンヘラだった。特にも恋愛と不良行為に関しては思い出すと恐ろしい。

悪行を働いても、へっちゃらで。私の悪行によって困る人の顔(この時は親)を浮かべてはザマーミロなんて思ってた10代。

夜中1時に酔って曖昧な関係のお兄さんに自分の事をどう思っているのか?私は彼女なのか?と問い詰めるという愚行を平気でしてたハタチそこそこの私。

『未来の私は一応ギリギリ社会適応できてるよ(かなり怪しいけど)』

じゃぁ元々メンヘラ気質かというとそうでもない。
生まれは根っからのネアカで。というか人の事にあまり関心が無くて、ナンバーワンよりオンリーワンって感じのバイブスだったので、人に影響を受けないタチだった。だから団塊の世代熱血根性の父親に「一番をとりたいとか思わないか?!」と問われても心にかすりもしなかった。

“競争社会”の枠外で、学校の帰り道に人の家のザクロをもぎとって盗み食いするのが楽しみで、帰宅すれば動物図鑑を隅々まで眺めたり、テレビで海外のファッションショーの様子を見るのが大好きな小学生だった。(これをネアカと言えるのかやや不安になってきた)何かを憎むこともなくピュアにワクワクしていて目に映る世界全てがユニークに思えてた時代だった。

メンヘラはどうやって製造されるのか?
やっぱり社会生活の段階に入って他者と関わりの中で摩擦が起きるとこじれはじめていくのでしょうかね。私は完全思春期の母娘関係が引き金でした。それとあいまって性への関心も高まる時期だったので恋愛メンヘラも併発し、10代は見事な黄金メンヘラ時代でした。

メンヘラ精神構造は相当に根が深いもので。
足を洗えたと自負できるのは20代後半(27、28)かとでしたでしょうか。30代を手前にしてネアカに返り咲いた訳です。今は、嬉しい事に小学生の時の感性に戻った様な感覚があるんですよね。

何かを憎むこともなくピュアにワクワクしていて目に映る世界全てがユニークに思える。

ネアカに返り咲く為に色んな施策はもちろんあっての事で、それらが一つずつ実を結んで今があるとは思うんだけど。メンヘラ時代に育ててしまった、人と自分を比較してしまう癖や、気持ちがジェットコースターの様に変化してコントロール効かない状態、あれらから距離を置ける技術獲得できたのは人生においてとても大きい。

もちろん私も人間なんで日々を詳細に観察するとメンヘラが時々顔を出すけど、そんな時はセイヘロー・セイグッバイ、である。時にはメンヘラの自分を抱きしめてヨシヨシして地下にお帰りとお見送り。

感情のコントロールをするうえでここち日記というアプリは重宝しているである。なかなか気持ちが上がってこない時、高揚しすぎる時とか、感情の波を感じた時はとにかくその時の状態を写真付きで記録するってゆう感じの使い方をしている。波が生理周期と重なっていたりすると、全てホルモンバランスのせいにできるのでログをとるのはおすすめ。

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地獄の底モードにいるとついつい他者が輝いて見えるだろうけど、実際はみんな、結局のところいろーいろあれやこれやあるんやて。そう思って皆さんご自身をご自愛くださいね。

私もご自愛します。晴れた週末の午前中にコーヒーを飲むのが大好き。そんな小さな幸せを抱きしめたいと思います。

スナックトマトとぶ 店主

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