本当は大嫌いな人の前で何ともないようにふるまっている私 憎しみの感情を抑圧すると自分の人生を生きられない
嫌いという感情は、憎しみに変わり、憎しみの感情は、自分を破壊します。憎しみを抑圧した感情は、あらゆるものを破壊します。
憎しみという感情は、自分の人生を壊していきます。感情の抑圧によって、その存在に気づかないで、憎むべき相手を間違えている時、敵意を隠した時、私たちは、自分の人生を生きられなくなるからです。
何かごまかしてるような感じがしたり、違和感があって、本来のエネルギーをうまく使うことができません。
あるとき、こんな潜在意識が出てきました。
中学生の時、クラスでも目立つグループに所属していた女性が、本来いじめの対象にはならないはずなのに、いじめを受けました。
その時のいじめっ子たちとは、10年後の今では親友で仲よしです。
その状況をよく見ていくと、彼女は親友を許したと思っているけれど、やはり無かったことにはできない。許せないに近いといいました。
いじめられたことは屈辱的なことで、彼女はそれをとても「恥ずかしい」と思っている。いじめられたことを消したいと思っている。いじめられたという事実があってはならないと、彼女は思っている。
そこには葛藤がありました。
では本心では大嫌いな相手を、どうして表面的にうまくやっていこうとするのか?
本当は大嫌いだという、その感情を意識したら、何かまずいことが起きると思っているからです。
彼女の心の奥には、「恥ずかしい私」というのがとても強いので、この感情を癒していくことで、解放が起こり、心境に変化が起こり、日常生活の状況が変わっていきます。
たとえば、嫌いの対象が会社の上司である場合、単純な場合もあるでしょう。会社を辞めれば、一生涯の問題になることはないでしょう。
ところが、もっと親密な関係において、表面的には何事もないように取りつくろうことで、その気づいていない敵意が、自分の人生を破壊する方向に向いていくことがあります。
嫌いという感情を抑圧することで、そこに本人は気づけないため、敵意の向けどころを間違えて、どうにもならないストレスを抱えることになります。
人間は表面的にうまく生きていくために巧妙に取りつくろうことがあります。私たちは本当のことを無意識にごまかすことがあります。夢の中でさえ、夢の表層を見ているだけではわかりません。
毎日の生活の中で、私たちは本当の自分の感情を押し隠します。
本当は嫌いなのに、平和をよそおって一緒にいるストレスほど大きいものはありません。
身近にいて本当は大嫌いな人、それは母、父であるかもしれない。親友、恋人であるかもしれない。妻、夫、子どもであるかもしれない。しかし、それは認めるわけにいかない。
だから、自分の本心はわかりにくいです。
しかし、私はこの人のことを嫌いだったんだ、と感情を解放する。その気持ちを認めて、受け入れると変わっていきます。もう一回やり直そうとこれまでよりもずっといい関係が築ける可能性があります。
でもやっぱり嫌いだと思えば、関係を解消した方がいい場合もあるかもしれません。自分の本心に正直になれば、自分の意識の正直さに気づけば、大きな意識とつながることで、思いもよらない助けが来るからです。
これまでの大変さと、自分の気持ちを受け入れた後の大変さは質が違います。それまでと違った意識で生きていくことになります。
本当のことに気づいて、本当のことを感じている自分を許すことによって、そこから新しい人生が始まっていきます。
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