見出し画像

3年ぶりの、note

 専業主婦からの起業について、等身大の想いを残そうと最後にnoteを書いたのが、うっそ、3年前!?だいぶご無沙汰です!
 3年前には、想像もしていなかったコロナピンチに、あと半歩、あと半歩、、と、とにかく歩みを止めることなくやってきて、なんと今、私はこんなところにいるよ、と3年前の私に言ってあげたい。
 少し振り返る時間ができたので、じっくり自分に向き合いnoteを再開しようと思います。

 私は、10年間もの長きにわたる専業主婦のすえ、社会生活から遠ざかっていたことにうっすらコンプレックスを抱きながら、2018年起業し、自分らしい仕事、働き方を模索しながらやってきました。

 現在、我が家では、家族それぞれの事情を優先して、夫と息子が関東、私と娘が関西、という2チームを基本形として、両拠点で、協力し合いながら生活しています。

 夫の転勤についていくのが当たり前だった私が、関西と関東、2拠点で仕事をするにあたって、時に夫に、関東⇔関西の生活をバトンタッチしてもらいながら、やりくりしています。
 私以外の家族を主語にしてしか生きていなかった「〇の妻」「△と◇のママ」だった私が、「私」を主語にして、\社会でも自分を活かしたい/ と言い切ったことから、始まりました。

 当初、専業主婦だった私は、私が外で仕事に熱中することは、家族への奉仕の時間が減るので申し訳ないという罪悪感と、その結果引き起こされるかもしれない悪影響に不安感を抱いているフシがありました。

 それが!
 今の私は、出張で関西から関東入りし、夫が作り置きしてくれた生姜焼きと煮卵を食べています。私は出張準備に神経を集中して、代わりに関西に行ってくれた夫と娘のための食事には気が回りませんでした。ごめん。(あっさり。)
 3年間で、こんなに変われた自分と、夫様、すごいな。
 夫が在宅勤務ができるようになったので、コロナ禍も実は追い風に。
 ママがいなきゃ一大事、という状況で自分を身動き取れなくしていたのは、私自身だったのかもしれません。子ども達も、それぞれがんばっています。ありがとう。

 そんなわけで(どんなわけ?)、私の1つ目の拠点である兵庫県芦屋市の施策の一環で「芦屋resume ~新しいチャレンジに伴う家族の理解と協力」というセミナーで、ゲスト登壇させていただくことになりました。

 3年前の私にエールを送るつもりで、一歩踏み出してみる勇気をお分けできたらいいなと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?