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「ロイヤルバレエ」ナタリア・オシポワ様 ロミオとジュリエット 鑑賞してきました

Ⅰ.入口からロイヤルバレエ

在来日している世界3大バレエに数えられるイギリス・ロイヤルバレエ団のプリンシパル、ナタリア・オシポワ様のチケットがついにとれたので、初のロイヤルバレエを観に行かせていただきました!

入口から「大入」の垂れ幕、絶対にプロのバレエダンサーの方ですよね?といういで立ちの方多数、外国の方多数、シャンパン片手に談笑していて、ここは日本かしら?と思うとともに、「あぁコロナの大騒ぎって終わったんだなぁ。」と感慨深く感じられました。

バレエはよく観に行く方だと思うのですが、ロイヤルバレエは人気も敷居も高く、意外に初めてだったんですがやっぱりいいですね。チケットはやはり破格ですが、舞台セット、お客さんまで含めて完全に世界ができあがってる。

私はそういうのは大事だと思う。

どこまでがロイヤルバレエなのですか、といってここまでですっていうのがコヴェントガーデンを抜け出したときにもコヴェントガーデンそのものまで含めて感じられる。

それは大英帝国ロイヤルを背負ってます。という矜持を感じさせるもので、オシポワ様すごい、とか、バレエっていいな。とかいった断片的なことではなく、もっと周辺のコンテクストを含めたすべて、
ロイヤルを完全にひっぱってくオシポワ様のすごみを筆頭にして、
やっぱりロイヤルすごい。イギリスの伝統ってすごい。てなるんです。

つまり私は実際に観る前には、オシポワ様といえば、ダイナミックで高度な技術力のイメージが強かったですが、実際にはそれらはベースであり契機でありいっそコンテクストであって特筆すべきなのは完全なるその演劇性だと。

バレエの枠を超えるほどの演劇的な演技なのに、これこそがまさにシェイクスピア!イギリスの伝統芸!と感じさせるのです。

多分私は、私の経験値では、イギリス以外の国(たとえばボリショイ、あるいはオペラ座、etc.)のバレエ団が同じシェイクスピアの演目をやったとして、これがロイヤルバレエ団だとあてられると思う。
イギリスの中だと(たとえば、イングリッシュナショナル、バーミンガム、etc.)どうか自信がないけれど。

Ⅱ.シェイクスピア作品について

私自身、シェイクスピアはすごく好きで、好きが高じて原語(古典英語)のシェイクスピア劇を何度か演じた経験があるにはあるんですが、その時の感触として、シェイクスピアはどの話も、どこかに「男尊女卑」的な要素があるんです。それは演じているときにすごく感じる。

何かそのような力が働いていて、絶対に女性の登場人物が悲劇的な何かに向かわざるを得ないベクトルのようなものを感じるんです。表面的にはハッピーエンドだったとしも、その人間の固有のアイデンティティとしては絶対にハッピーとは言い切れない。というような。
でも、それが女性でしょ?みたいな目線を感じるんです。これはシェイクスピア自身の揺るぎない視線であり視点であると思う。

シェイクスピア自身なのか、時代なのか、そこらへんは私も分化できるほどの知識がまだないのですけれども。

ロミオとジュリエットなんかも悲劇なのか喜劇なのかは紙一重ですよね。
一応悲劇なんだけれども、すごい突っ込みどころがあるというか。

それを、でも、登場人物から見て、完全にピュアで本当に周囲に翻弄されていて、純愛を貫いて、っていうふうにその美しい場面が純度100%で描きだされながらも、それを観劇した人が、客観的にその未熟さの悲劇を感じなくてはいけないと思うんです。

その感情移入と時代性を遠く現在から見つめてタイムスリップできるというバランス感覚。その配分が演技者としての腕の見せ所。というように感じます。

Ⅲ.そして

オシポワ様はそれを見事にやってのけていた。

そしてそれは、明日、あるいは昨日、他のプリンシパルが踊っていたら絶対に別のジュリエットだっただろうと思わせる、それも観てみたいと思わせる強い個性があった。

いずれもロイヤルバレエの風格を感じさせる夜でした。

次の来日ではぜひ、高田茜様が観てみたいと思う私です(^^)

来日していただきましたロイヤルバレエの皆さま、ありがとうございます!
残りの公演のご盛会をお祈りいたします。

(私に祈られなくても…)