変えられるのはいつも自分だけ
韓国語のことわざで、こういうものがある。
가는 말이 고와야 오는 말도 곱다
カヌンマリ コワヤ オヌンマリ コプタ
- 行く言葉が綺麗なら、返ってくる言葉も綺麗だ
日本語だと「売り言葉に買い言葉」のように訳される事が多いのだが、それよりもこちらの出方次第で相手の出方も変わる、という意味に近い。
知人の親が認知症になり、施設に入った方が良いと思うが本人が頑なだ、という話を聞いた。
だが、よくよく聞いていると、本人の気持ちに知人は寄り添ってないように感じられた。
認知症であったとしても、人は死ぬまで人としての尊厳を失う事はなく、周りの人間からこうしろ、ああしろと命じられるのは、それを踏みにじられているような気持ちになるのでは?という話をした。
知人も思い当たる節があったようで、改めて本人の意向にもっと耳を傾けてみる、と言っていた。
例え家族や、どんなに近しい人間であっても、自分以外の人間を思い通りに動かす事はできない。
「思い通りに動かしてやろう」という魂胆が透けて見えた瞬間から、人はより頑なになっていく。
寓話の北風と太陽みたいなものだ。
変えられるのはいつだって、自分の方だけだ。
そして、自分を変えていくと、周りも自然と変わっていく。
遠回りに見えるが全く逆で、これが最善の道へのショートカットなのだと、40年以上生きてきてようやく気がついた。
このnoteでも、私から発する言葉は誰かにとってなにか気づきやポジティブな種のようなものをまける存在になるように、心を込めている。
決して多くの人が見てるわけではないのだけど。
その事にいっそう気をつけて、言葉を紡いでいきたい。
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