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「実践ビジネス英語」の想い出①

2021年3月をもって、NHKラジオの「実践ビジネス英語」が終了になります。

まずは長い間、杉田敏先生、本当にありがとうございました。

1987年にはじまった「やさしいビジネス英語」の時代から、長きにわたって聴いてきました。

英語学習面でいえば、あまり真面目な生徒ではなかったのですが、キャリア面でいえば、この番組は、わたしのキャリアに大きな影響を与えてくれた貴重な存在です。

テキストを年間購読で郵送してもらっており、翌月のテキストが前月の半ばに自宅に届きます。毎年3月号のテキストが2月中旬に届くと、まっさきに4月以降のNHK英語番組の表を見て、ビジネス英語で杉田先生が継続されるかをドキドキしながら確認していました。

そして、今年の2月中旬、3月号テキストが到着したとき、例年のように確認をしようとしたら、なんと表紙に「最終号・特別企画、杉田敏先生への21の質問」とあるではありませんか・・・!

『ああ、とうとう終わってしまうんだ~』
という想いと同時に、
『信じられない』『名残り惜しいな~』
という気持ちが溢れてきました。

番組に関わるいろいろなエピソードを読みながら、
『わたし自身も長い道を歩んできたな~」
と、番組に関連する想い出がよみがえってきました。

ここでは、沢崎昭一シリーズからはじまった番組に関する想い出を綴ります。

たくさんの想い出があるので、全3回シリーズです。

◆第1回:やさしいビジネス英語・前編(ニューヨークと学びのリンク)
◆第2回:やさしいビジネス英語・後編(IELTSとオーストラリア移住)
◆第3回:リアルな実践ビジネス英語(新しい働きかた)

今回は第1回『 やさしいビジネス英語・前編』をお届けします。

沢崎昭一シリーズ

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1987年にはじまった沢崎昭一シリーズでは、最初に聴いただけではまったく理解できず、「これがわかるようになるんだろうか~?」と思いました。

当時は1回20分で月曜から金曜日の5日間でひとつのビニェット、土曜日は杉田先生とゲストやアシスタントの方とのフリートークだったと覚えています。今の番組は、1回15分週3回で2週かけてひとつのビニェット完結ですから、当時の1週間の分量は、今の倍の勉強内容がありました。

ビニェットの内容では、沢崎昭一は杉田先生ご自身がモデルではないかと想像していました。

土曜日のフリートークは、興味深いテーマばかりなのに、当時のわたしの英語力で理解するのは難しいものでした。今聴いたら、わかるようになっているのかな~と確認したい気持ちもあり、もう一度聴いてみたいです。

まだインターネット視聴もない時代です。付属のカセットやCDを売っていたのか覚えていないのですが、予約録音ができるラジカセを購入して、毎回の放送をカセット録音して聴いていました。たいへんなボリュームでした。

このシリーズに関連して印象深いものが(英語には直接関係ないのですが)2つあります。

ひとつ目は、「ヘッドハンター」です。

沢崎昭一がヘッドハンターからの連絡を受けて転職をするのですが、このビニェットで「Headhunter」が高級幹部のスカウト職という意味であることを知り、映画ような世界だな~なんて思ったものした。

その後かなりの年月を経て、自分自身がヘッドハンターからの連絡を受けたり、ヘッドハンターを使って採用をすることなり、そのようなシーンではこの沢崎昭一を想い出してしまいます。

◆美人ヘッドハンター:余談ですが、たしか沢崎昭一のヘッドハンターは美人ヘッドハンターだったと記憶しています。実際にわたしが仕事で関わったヘッドハンターに、見とれてしまうような美しい女性(たぶんアジア系と欧米系のハーフ?)がいました。

こんな美しい女性に、男性の幹部候補者がヘッドハントされたら、なかなか断れないだろうな~と思いました(笑)。人事のプロであるわたしの元同僚によれば、(人材エージェントではなく)CXOレベルのヘッドハンティングに関わるヘッドハンターは、美男美女が多い(そのうえびっくりするよな高学歴)ということです。最高レベルに高額な人材という商品(Head)をハント(hunt)するのが、ヘッドハンターということなんですね~。

ふたつ目は、「ニューヨーク」の街の想い出です。

沢崎昭一の転職先であるABC Foodsの舞台がNYであったことに加えて、当時「ニューヨーク恋物語」という田村正和主演のニューヨークを舞台とするドラマがヒットしていました。雑誌でも、ニューヨーク特集がさかんに組まれていて、「ニューヨーク」という街に行ってみたいな~と思うようになりました。

その後まもなく、長期旅行滞在者用のアパートメントを借りて、3ヵ月ほどニューヨークに滞在し、これが海外に1ヵ月以上滞在した初めての経験となりました。

◆海外への想い:それまでは、1ヵ月程度の海外旅行をした経験はあっても、一つの街に滞在したのではなく、移動型の旅行でした。そのため、このニューヨークでの体験は、「いつか海外に住んでみたいな~」と思うきっかけになりました。

ニューヨークといえば、時は流れて、沢崎昭一シリーズから20年以上を経て、自分自身がニューヨーク本社の会社に勤めることになりました。
(第2回・第3回で記すように、その後に、オーストラリア移住をしてシドニーで働くのですが、帰国後に縁あってニューヨークに本社のある米国企業の日本支社のファイナンス・ディレクターとして転職するのです。)

出張でニューヨーク本社を訪れたとき、毎朝ホテルからオフィスまで、ニューヨーカーに交じってニューヨークの街を歩いて通勤しました。そのとき沢崎昭一シリーズのビニェットを思い出したのは、言うまでもありません。

タイムスリップをして、自分がビニェットのワンシーンを歩いているような気持ちになりました。わたしのコーポレートキャリアでの初期の沢崎昭一シリーズの想い出と、キャリアの実体験(ニューヨークへの出張)がリンクした体験です。

レインフォレストと修士論文

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ビニェットで登場する会社を通じて、日本では知られていない新しい価値観を知ることもできました。

やさしいビジネス英語の沢崎昭一シリーズの次の宮川輝行シリーズは、化粧品会社「レインフォレスト」という会社が舞台になります。

この会社は、環境にやさしい経営として広く知られるザボディショップ(The Body Shop)がモデルで、杉田先生が訳されたザボディショップの創業者アニータ・ロディックさんの「Body and Soul - ボディショップの挑戦」も読みました。

まだ企業の社会的責任という考え方が、あまり知られていなかった頃のことです。わたしにとっては、これが自分の修士論文のテーマへとつながっていきます。

わたしは当時、USCPA(米国公認会計士)試験に合格したのち、ビッグ4(当時はビッグ8)会計事務所の東京オフィスに勤めていました。夜と週末には、(まだ日本では2つしかなかった)社会人向けの修士のコースに通っていました。

コースの後半で書く修士論文のテーマとして、会計学という自分が実務で関わっている分野と、「レインフォレスト」を通じて興味を持った環境経営の接点として、当時は新しい分野だったEnvironmental Auditing(環境監査)を選びました。もともと理学部出身だったので、このような学際的なテーマに強く興味を持ったのです。

論文作成の過程では、わたしが物理学を専攻した学部時代に深い興味を持った世界的ベストセラー「タオ自然学」や「ターニングポイント」の著者フリッチョフ・カプラ氏が、その後にエコロジーのシンクタンクを創設していることを知りました。さらにカプラ氏の「エコロジカル・マネジメント―緑の企業になるためのガイドブック」に関連した日本での講演会に参加する機会にも恵まれました。

ここで、10代後半~20代をかけて学んだ「物理学」「会計学」「環境経営」の3つの分野がつながるという体験をしたわけです。

杉田先生の「やさしいビジネス英語」のビニェットを通じて、英語力の向上だけでなく、新しい価値観、そして学びのリンクという、プライスレスなギフトをいただきました。

杉田先生、あらためて、素晴らしい番組をありがとうございました。

ここまで、第1回はキャリア初期の体験にフォーカスして「やさしいビジネス英語」の想い出を記しました。

だいぶ長くなってしまったので、この辺りでこのシリーズの第1回はここで終わります。

第2回は「やさしいビジネス英語・後編」として、IELTS受験とオーストラリア移住に関連しての番組の想い出を綴ります。

ここまでお読みいただいてありがとうございました!

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