「実践ビジネス英語」の想い出②
1987年~2021年まで続いたNHKラジオ「実践ビジネス英語(旧やさしいビジネス英語)の想い出」シリーズです。
◆第1回:やさしいビジネス英語・前編(ニューヨークと学びのリンク)
◆第2回:やさしいビジネス英語・後編(IELTSとオーストラリア移住)
◆第3回:リアルな実践ビジネス英語(新しい働きかた)
今回は、第2回「やさしいビジネス英語・後編」として、「やさしいビジネス英語」と人生の大きな転機となったオーストラリア移住に関連する想い出を綴ります。
第1回目の「やさしいビジネス英語・前編」については下記をご参照いただければ幸いです。
IELTS受験とスピーキングテストでのできごと
ビッグ4会計事務所で4年ほどを過ごして、無事にUSCPA資格の経験要件・学歴要件を満たしたところで、米国系エンターテイメント企業の東京支社へ移りました。
そこでは、オフィスも米国仕様、米国本社でのトレーニングや出張などを含めて、少しだけ「ビジネス英語」の現場に足を踏み入れた経験をすることができました。
しかし、東京オフィスのトップ層や同僚にアメリカ人・イギリス人が数人いたものの、周りのほとんどは日本人。英語を真剣に使うのは、月次決算、バランスシート&キャッシュフォローのプレゼンテーションなど、月に数回程度でした。(今思えば、まったくダメダメの英語レベルでやっていたな~と思います。)
キャリア的には全般として順調だったのですが、プライベートでは結婚生活が破綻しつつありました。
『離婚したら、まずは新天地へ行こう』
『せっかくなら、ずっと行ってみたかった海外に住みたい』
と考えるようになっていました。
細かくはいろいろな経緯がありますが、ひとつの選択肢として、独立永住ビザを取得して、オーストラリアへ移り住むということを考えるようになっていました。
当時のオーストラリアの移民法によると、独立永住ビザを取得には
◆職種要件
◆学歴要件
◆経験要件
◆英語力要件
などの要件ごとに定められたポイントで、定められた合計点を取得することが必要でした。
【注意】オーストラリアの移民法は頻繁に変更があります。これは、わたしが独立永住ビザを取得した当時の時点での体験や要件です。これから独立永住ビザの取得を考える場合には、必ず最新の情報をご確認ください。
わたしの場合、幸いにも、会計専門職ということで、職種要件・学歴要件・経験要件を満たすことができそうでした。
しかし、英語力要件として、(当時は)IELTS(国際的な英語力試験)のGeneral ModuleのOverallで少なくともバンド6.0を満たすことが必要でした。さらに、4つのスキル(Reading, Listening, Writing, Speaking)のすべてで6.0以上が必要でしたので、どのスキルも手を抜けません。
今のようにIELTS対策コースもなくて、やっと見つけたのが東京のブリティッシュカウンシルでのIELTS Academic Module 対策用の3ヵ月コース。Moduleが異なるものの、このコースに毎週1回土曜日に通いながら、日々の勉強で利用したのが「やさしいビジネス英語」です。当時は、荒木裕美シリーズだったと思います。
今はこのような縛りはありませんが、当時のIELTS試験では、一度受験したら次の受験までに最低90日をあける必要がありました。
「4つのスキルで1つでもスコア6.0に満たなければ、次は90日待たなくては受験できない」というのが、本当に強いプレッシャーでした。つらいプレッシャーと思いましたが、このプレッシャーが(まだ若かったこともあり?)集中力を加速させてくれたのかもしれません。
「やさしいビジネス英語」は3ヵ月間のIELTS勉強中のよきペースメーカーとして、不安定になりがちだった当時の精神状況に、束の間の平安をくれたように感じています。
さて、今でも鮮やかに思い出すのは、スピーキングテスト本番でのできごとです。
スピーキング本番前にドキドキしていたら、わたしの試験官になる人は、なんと当時のやさしいビジネス英語での杉田先生のパートナーの方だったのです!(直近のプログラムでいえば、ヘザーさんの役割の方です。)
他の受験生や試験官が真剣な面持ちで待機している会場で、わたしは興奮する気持ちを抑えるのが精いっぱい。緊張はどこかに吹き飛んでいました。
「XXさん、いつもいつも聴いていますよ~」
と伝えたい気持ちを抑えてスピーキングテストに臨みました。
(お名前を失念してしまいましたが、美しいアシスタント先生でした。)
毎日ラジオで聴いている声でのやり取りだったので、自然に緊張がほぐれてスピーキングすることができました。ラッキーが味方をしてくれました。
このIELTSのテストではOverall7.0を取得しました。(オーストラリア移住後に、『自分の英語力はまだまだ』と思い知るのですが・・・)晴れて、オーストラリア独立永住ビザを取得する要件を満たすことができました。
オーストラリア移住後の英語サバイバル
IELTSを受験してから9ヵ月後、無事にオーストラリアの独立永住ビザを取得して、わたしはオーストラリアへ移り住みました。その後まもなく、ノースシドニーにある米国系のIT会社のアジア本部で働きはじめました。
オーストラリア移住後の諸々に関しては、別のnote記事に記したいと思います。
オフィスのデスクからは、シドニーのオペラハウスとハーバーブリッジが眺められるという、「海外で働いている感」満載の日々がスタートしたのですが、とにかく最初は英語で苦労をしました。
仕事上の会計英語はなんとかなるものの、それ以外の何気ないSmall Talk(スモールトーク)がわからない・・・。
でも(たぶん)たいした内容ではないので、わざわざ聞き返すほどのこともなかったりで、顔は笑顔でも心では「今なんて言ったんだろう???」という状況も日常茶飯事。IELTSでOverall7.0を取得できていても、こんなものでした。
今だったら、海外にいてもインターネットで日本のラジオ番組を簡単に視聴できますが、当時はまだそのような状況ではありません。「やさしいビジネス英語」のテキストとCDを、妹に頼んでオーストラリアへ送ってもらいました。
「海外に住んでいたのに、NHKラジオで勉強していたの~」
って笑えるかもしれないシチュエーションですが、わたしの英語力レベルでは、海外のテレビやラジオを聞き流すだけでは、簡単には上達しなかったでしょう。当時のわたしには合っている勉強法でした。
特に役立ったな~と思うのは、「やさしいビジネス英語」では、一般的な会議英語とか電話英語みたいな内容ではなく、日常で話題にのぼっているトピックがビニェットの内容だったことです。
日本では、社会的なテーマを同僚と話すことはあまりないですが、わたしがいたオーストラリアの環境では、まさにビニェットのような会話が進行していました。
1年を過ぎたころからだいぶ慣れて、そのころには、USCPA(米国公認会計士)資格をオーストラリアの勅許会計士資格へ移すために、オーストラリアの大学で現地の会社法と税法の単位を取得しようと、大学の講義を受け始めていました。
このように、「やさしいビジネス英語」は、
◆IELTSのテスト準備
◆IELTSのスピーキングテストでのできごと
◆シドニーのオフィスでの日々のSmall Talkサバイバル
などの状況で、わたしのオーストラリア移住に関する英語サバイバルを大きくサポートしてくれました。
「やさしいビジネス英語」という番組が存在してくれて、本当にありがたかったな~と思います。
ここまで、第2回はIELTSと海外のビジネス現場での英語サバイバルに関して、「やさしいビジネス英語」の想い出を記しました。
第3回は、「リアルな実践ビジネス英語(新しい働きかた)」というタイトルで、フリーランス国際会計士としての新しい働きかたに関連して、実践ビジネス英語の想い出を綴ります。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!
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