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見上げる

空を見上げた。

無意識だった。

気付いた。

「………あれ?…………最近あんまり空見上げてなかったかも。」


思い返せば、子供の頃は、下を向いて歩いていた。
ちょっとやそっとの下じゃない、真下だ。
自分の足が見えるくらい、真下。

小学校の通学はいつも真下を向いてあるいていた記憶がある。
田舎なので、特に夏は、ヘビが死んでいたりするし、他にも踏みたくないものが落ちているかもしれない。
たぶん、心配だから真下を向いて歩くようになったんだと思う。

脳内映写機で上映される思い出の映像は、コンクリートと自分の足先。


前を向いて歩けるようになったのはいつ頃だろう。思い出せない。
小学生の頃でも出かけるときは、さすがに前を向いて歩いていたと思う。

そもそも出かけることが少なかった。週末、親が食料品を買いに行くときについていくだけ。寄り道なんてしない。自宅で車に乗って、スーパーでおりて、店内をうろうろして、車に乗って帰る。ただそれだけ。それ以外はほとんど、小学校と自宅の往復だけだったから、下を向いて歩く癖がついたのかもしれない。人なんてあんまり歩いていない田舎道を片道約2キロ。下を向いて歩いても誰とぶつかることもない。

中学・高校は自転車通学。
さすがに真下を向いて移動はできない。

大学は電車通学。
前を向いていないと人にぶつかっちゃうから、下は向かない。

大学を辞めた後、バイトを転々としつつも、部屋にこもる時間が増えた。
そもそも歩くこと自体が減っていった。

社会に出られなくなった1年半。
本当に何もできないし、何もしない自分をどうにか変えたくて、せめて自分の分の洗濯を自分でする。そして、庭の物干し台まで歩いて、洗濯物を干す。自分で自分に課したハードル。小さな小さなハードル。

そうだ。その時だ。
空を見上げるようになった。
あの場所から見る空は今でも大好きだ。
いつでも容易にリアルに想い起こせる。

私の実家は田舎の方で、家の前は田んぼ。
電車が通っているような団地エリアから少し坂を上ったところで、
木もそんなに多くないから、かなり視界が開けていて、空がとても広く感じる。

雲ひとつない真っ青な青空も、燃えるような夕焼けも、
雲がランダムに浮かんだありがちな空も、
表現するのが難しいくらいいろんな色がグラデーションになる夜明け前や日没後の空も、いつまでも見ていられる。
大好きな空。

そのころから、よく空を見上げるようになった。
街にいても、ビルの隙間からこぼれる青空を見上げるようになった。


それが、ここ最近、全く見上げていなかったことに今朝気付いた。

空は視界に入っていたのだろうけど、意識的に見上げてはいなかった。
微妙な感覚の違い。自分にしか分からない大きな違い。


根詰めてたんだろうなぁ、この4か月。

4か月。なんて短いんだろう。
根詰めてたって、頑張ってたって、結果を出せなきゃ意味はないと言われることも多い。

でも、がんばった。よくがんばった。

すごくすごく小さな空だけど、見上げた空は青くて、心にやさしい風が吹いた。

だいじょうぶ。状況は確実に変わる。
そう思えた。



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