ジャーナリズムの集団自殺

 1985年8月12日の夕刻、JAL123便が群馬の御巣鷹山の尾根に墜落した。たまたま巡り合わせでJALの職員でもないのに翌朝の6時には現場に入り、JAL関係者を含めた3人で仮安置所や安置所の設置に携わった。現場に入った最初の民間人グループの一人だった。
 地獄絵図はその日の昼近くから始まった。
 
 当時のマスコミは未曾有の惨劇に対し完全に浮き足立ち、思考停止した無頼の徒と化していた。ただただ衝撃的な絵柄を求め、現場の秩序を破壊しまくった。仮安置所の取材制限ロープをかいくぐり、遺体を確認する遺族の肩越しに棺の中の写真を撮る、立ち入り禁止の墜落現場に勝手に入り込んだ挙げ句遭難して自衛隊に救助され、実質的に救助活動の妨害をする、遺族に執拗な取材をし、しまいには殴り合いの喧嘩になる……。遺族に殴り倒されたTVカメラマンはニヤついた表情でカメラを構えたまま仰向けに倒れていった。その顔には「いい絵をありがとう」と書いてあった。彼らには「ジャーナリズム」どころか人間性のかけらも感じられなかった。
 
 NHKの「ニュースセンター9時」では乗客名簿を延々と繰り返し流していた。そこにJAL広報室長の会見が始まり、画面は強制的に会見場からの中継に切り替えられた。その時、キャスターの木村太郎氏は激怒した。
「いま重要なのは乗客名簿です。知り合いが乗っていないかどうか多くの人が注目しています。JALの会見は録画で充分です。すぐに乗客名簿に切り替えて下さい」。
現場の記者はその剣幕にただオロオロしていた。そこにだめ押しで一喝「早く画面を切り替えなさい!」。
 
 これこそがジャーナリズムだと思った。惨劇を起こしたJALがどのような醜態を晒すのか、どんな土下座っぷりを見せてくれるのか、ワイドショー的野次馬根性で会見を楽しみにしていた人の数は、乗客名簿に釘付けになっていた人たちよりもはるかに多かっただろう。しかし情報の価値がどちらにあるかは言うまでもない。多数決ではないのだ。対象が例え少数であっても優先的に伝えるべき情報をしっかりと見極めるというジャーナリズムの本質を見せつけられた気分だった。
 
 あれから36年。
 その間に自然災害だけでも阪神大震災、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などとてつもない厄災がいくつもあり、福知山線脱線事故や福島第一原発事故などの大事故も多かった。
その都度マスコミは相変わらず浮き足立ち、無頼の徒となり、秩序を破壊した。いやむしろ災害や事故のたびに彼らの劣化は度を増していった。
 例えば今般の疫病騒ぎでも、ダイヤモンド・プリンセス号対応へのいちゃもんに始まり、緊急事態宣言に文句を言い、感染の後遺症よりもワクチンの副作用を問題にする。素人はだしの「なんちゃって」玄人が何の裏付けもない陰謀論をワイドショーで垂れ流し、そのデタラメが明るみに出ても訂正すらせずに次の煽りとデマを撒き散らす。世界的にも圧倒的な防疫効果が表れると今度は矛先を余剰マスクに向け、医療従事者用がそのほとんどであるにも関わらず「アベノマスクを含め」とミスリードを図る。

「視聴者(読者)がそれを望んでいるのだから仕方ないだろう」。
 36年前にも彼らは同じことを言っていた。そこにはジャーナリストの矜持もクソもなく、あるのは下卑た薄ら笑いだけだ。
 今は残念ながらかつての木村太郎氏のような筋金入りのジャーナリストはどこにも見当たらない。情報の価値よりも自分の浅薄な思想を優先し、科学的な事実さえも捻じ曲げる。一言で言えば「下賤の民」である。
「情弱殺すにゃ刃物はいらぬ ガセの一つも流しゃ良い」。そう嘯く今のジャーナリストに対して「マスゴミ」という蔑称が巷間定着しつつある。正に自業自得だ。
 このままいけば「なりたくない職業」のトップに「ジャーナリスト」が君臨するのもそれほど遠い将来ではないだろう。

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