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音楽の授業の話

 私の高校では、1年次のクラスが芸術科目の選択によって分かれていた。

 私の高校はちょっと特殊で、男子校と女子校が合併してできたという過去の経緯から、極力男子と女子のクラスを分ける仕様になっていた。それがさらに芸術選択で分かれているとなると、1年次のクラス編成は、つまりはこんな感じだった。

 1組 男子 美術選択
 2組 男子 音楽選択
 3組 男子 書道選択
 4組 男子 何か分からないけどもう1クラスあった
 5組 男女 人数の都合上やむを得ずできる共学クラス 芸術選択は確かバラバラ
 6組 理数科 県の精鋭が集まる 3年間同じクラス
 7組 女子 美術選択
 8組 女子 音楽選択
 9組 女子 書道選択

 細かいところの正確性は保証できないが、概ねこんな感じだったと思う。そして私は、音楽選択の女子クラスにいた。…ちなみに2年次になると、さすがに芸術選択ではなく文系理系などで分かれていく。

 音楽の先生は、部活の顧問でもあった。いつも黒い服を着ていて、音楽室に併設されている音楽の先生用の部屋に半ば住んでいるおじさんだった。ちなみに同じ高校・同じ部活の出身でもある。部活の話はまじものの黒歴史なので、ここでは語らない。いや、話題にせざるを得ないのだが、その場合はなんちゃら部としておく。

 芸術の授業があったのは、2年次までだったと思う。1年のときの思い出はそれほどない。そもそも私が音楽を選択したのは、4歳の頃からエレクトーンをやっていたからで、あとは、カラオケが好きだった。…まあ、歌うのが好きだから、みんなで歌うなんちゃら部にも入ったのだが、別になんちゃら部の音楽路線が好きなわけではなかった。しかも入ったのが周りより1ヶ月ぐらい微妙に遅かった。…仕方がないのだ。別に私は、中学の頃、テストでいい点が取れるのが楽しくて夢中で勉強していたら、何かそれなりの進学校に入ることになってしまい、そうしたらそこでは、部活に入らないやつは人間失格だみたいな風潮が出来上がっていて、私は勉強が好きで入っただけで、部活なんてやりたくなかったのに。パラレルワールドの私は家庭科部と天文研究部を兼部しているのだが、でもそれだと友達が全然できない。仕方なく私は、新しくできたばかりのお友達のお誘いもあって、なんちゃら部に入ったのである。

 1年次の音楽の授業では、自覚はないけれども、なんちゃら部のおかげで(せいで?)、発声が他の人と違ってきていたらしく、何度か他の部活の子にツッコまれたりした("ねえやばいよ笑"的な。なんちゃら部はすごいダサい扱いだったのだ)。あと、一緒にカラオケに行っても似たようなことを言われた。けれどカラオケでの声質は元々で、多分部活は関係なかったと思う。

 2年次になると、なんちゃら部は歌うのが仕事なので校歌も歌い慣れているのだが、全校集会などで自分のクラスの背の順のポジションで校歌を歌うと、歌詞と音程が分かって細々と声が通っているだけで、周りの非部員の人に振り返られたり、誰か一人うまくね?…みたいな感じでくすくすされたりした。
 誤解しないでほしいのだが、私は、当時欲を出して関東大会を目指し始めていたなんちゃら部の中では普通に下手な部類で、やる気もなかった。おまけに全然言うことを聞かなくて、多分最初から最後まで問題児だった。というか、最初からずっと辞めたかった。顧問に泣いて辞めたいと訴えたこともあったが、全然辞めさせてくれなかった。でも入ってすぐ辞める人もいた。なんやねん。勘弁してくれ。

 …気がつけば、なんちゃら部の話ばかりになってしまっているので話を戻そう。

 2年次の音楽の授業では、2つほど印象に残っている出来事がある(そうそう、これを話したかったのだ)。一つは、映画「アマデウス」の感想を書くという課題である。

 私は、断片的に見せられた映像を、全く理解できない人間である。…今はマシかもしれないが、当時は完全にそうだった。だから顧問が、音楽の授業の時間に、どこが始まりで、何が続きなのかも分からないやり方で映画「アマデウス」を再生し始め、それを数コマ続けたあと、唐突に感想を書けと紙を配ってきたとき、(…え、なになになに?)と思った。そもそも、その映画は、私がこれ↓

で幼い頃から知っているヴォルフガング像と違いすぎて、正直誰が何なのかもよく分からなかった。分からないのでどうしようもなく、それでも何とか書いたら、評価Cで返ってきた。今思い出しても容赦なさすぎで笑える。

 もう一つは作曲の授業である。確か2年次の最後の最後にあった。
 作曲は、全然経験がない人よりは得意だった。エレクトーンで検定を受けるときに、大したものではないが、作曲やら即興演奏やらの試験項目があって、多少の教育を受けていた。コードというものがあって、コード進行がある程度ちゃんとしていれば、あとはその上で適当にメロディーをピロピロさせるだけで曲っぽいものができるのだ。それを感覚として知っていた。
 だから、これから年度末までは作曲の授業だと聞いたとき、今度は急にやる気を出し始め、家に帰ってエレクトーンの教本を引っ張り出し、コード進行を考え始めた。すごく基礎的な本だったけれど、この中でいっちばんクールなコードを選んでやるぞ的な気持ちがあった。結局出だしはCにして、その後はセンスで選んだ気がする。今、音を思い起こして正式なコード名を当てはめるなら、C→Caug→…という始まり方になる。
 授業の時間は、メロディーラインを作るのに専念した。私は、五線紙におたまじゃくしを書く感覚が好きだった。前掲のモーツァルトの漫画や同シリーズのベートーヴェンなどでは、二人ともピアノには向かわず、五線紙とペンだけで机に向かい、頭を抱えたりパンをくわえたりしながら仕事をしているのだが、そういうのが本当にかっこいいなぁと思っていた。
 完成させたのはクラスで一番先だった。私は先生(愛憎入り混じる顧問)に、「できました」と楽譜を提出した。すると先生が、音楽の先生用の部屋にあるピアノで、その場で演奏してくれるのである。先生はずいぶん褒めてくれた。特に2つめに出てくるCaugがウケたようで、「ここ…!これ、エグいよね…!」などと言っていた。でもサビ前の転調が微妙だった。残念ながら私は、転調に関する知識はあまり持ち合わせていなかったのである。
 「ちょっとこの転調がさ…惜しいよね。」みたいに言われ、別バージョンを作って出し直したりしたけど、なにせ知識がないのであまり変わらなかった。あとは時間が余ったのでもう一曲作ったり、私をなんちゃら部に誘ったお友達の作曲を手伝ったりしたような記憶がある。結局、一曲目の評価しか覚えていないけれど、楽譜にはA+が書かれて返ってきた。これは、私が学校生活において、小学2年生だか4年生だかの頃にあった、「絵本を作る」という国語の授業以来、久々に才能っぽいものを現した瞬間だった。(「絵本を作る」授業では、班で読み合わせをしたときに、隣の席の男の子が「これめっちゃ面白い」と言いながら、私の作品を次の人に回してくれた。私は当時、ほとんど喋らない、極度に大人しい子供だったので、その言葉を直接私に向けてはくれなかったが。)
 ちなみに社会人になってからもアプリで一曲作ったりして、なかなか良かったんだけれども、スマホが壊れたときに消えてしまった。残念。やっぱり五線紙におたまじゃくしだね。

 私をなんちゃら部に誘ったお友達が、今や先生になって、顧問の先生と同じ業界で働いているので。それきっかけの清算。




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