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Nicole Krauss "Shelter" を読む

 Nicole Kraussの短編"Shelter"を読みました。

 コンデナスト社の雑誌ニューヨーカー2022.10.3号の小説コーナーからです。現時点でこの小説を読んだ人がどれだけいるのかわかりませんが、面白かったので書きます。

 あらすじは、アメリカとイスラエルを仕事で行き来する冴えないおじさんが、偶然若い妊婦の出産を手伝ったことをきっかけに人生がきらきらし始め、でも結局現実に戻ってしまう話。です。読み始めてまずイスラエルが出てきて、Nicole Kraussを調べたらユダヤ系文学と出てきたので、難しいかなと思ったのですが、意外とわかりやすくて面白かったです。気に入ったシーンがいくつかあったので、そこを中心にまとめてみたいと思います。

 まず、主人公のおじさんは(昨今、あまり"おじさん"を連呼するのも良くないんですかね。ほら、おばさんて言うと、怒り出す人がいるじゃないですか。でもこの人は、おじさんの中でも特に"おじさん感"が強いキャラだと思うので、ここではおじさんと呼ぶことにします。)、元々アメリカに住んでいて、でかい子供もいるんだけど、奥さんには愛想をつかされている。で、仕方なく仕事に精を出すんだけど、それも若い頃に比べるとキレがなくなっていて、下からも尊敬されなくなっている。辛いので、ちょっと薬に手を出しながら頑張っている(向こうのビジネスマンて、そういうところありますよね)。

 で、このおじさん(名はCohen)がまだ鬱々としてた頃に、薬をキメて海に行ったら世界と一体化して感動の涙を流すシーンがあるんですが、まずそれが。好きすぎる。

"The red sun began to sink into the sea. Cohen lost himself, too, in reverie; the exquisite, intricate order of things, and the things behind things, and the non-things, the interconnectedness of it all, the goodness, was so breathtaking that tears filled his eyes. In that vast order he, too, had a place; he was woven into it. No, he was not lost; on the contrary, he would be shown the way if he only opned himself to the signs."

Shelter 

 赤い太陽が海に沈み始めていて、世界にはこんなにも秩序があって、その中に自分も織り込まれていて、なんて…なんて素晴らしいんだろう。自分が心を開きさえすれば、世界はいつだってそれを受け入れてくれるのだ。的な感じでしょうか。美文ですね。美文なんだけど、これキマッてるおじさんなんだよなと思うと途端に笑えてくる。
 ちなみに私は、薬をキメて海に行かなくても、大体こんな感じで生きています。私も似たような感覚を覚えたことがあります。晴れた週末の昼、一人で近所を歩いているときに。そのときの感覚がよく表されてるなぁと思ったので、抜き出しました。

 その後彼はイスラエルに単身赴任し、同じアパートに住んでいた若い妊婦の赤ちゃんを、各階に設けられた非常用のシェルターで、たった一人で取り上げることになります(タイトルはここから)。無事生まれて病院に付き添うと、父親と間違われたり、一時的な保護者扱いされたりして、なんか久々にいい気分になってきます。

 このあたりの、まず生まれた子供の父親が一夜限りの相手だから来ないと知ったときに、おじさんが急に輝き出すところがまじで面白い。いやあなたついこの前まで、彼女の部屋のドアに貼ってある知らん男とのツーショット写真見て、「なんだ若い奴らが」みたいに拳ぎりぎりしてたやん。(その男は友達で、父親じゃなかった。)
 その後看護婦さんから、「(ママが)コーラ飲みたいってよ」って言われて、うっきうきで自販機探しに行くところもほんとすき。夜の病棟で。たのしそうでなにより。

 その、浮かれてるあたりでもまたいい文章があったんですが、それがこれですね。

Maybe Cohen's mistake all these years had been to believe that his fate lay in his own hands, that he was responsible for both his victories and his failures, that all the good that had come to him and all the bad that had befallen him were equally the result of his own doing.

Shelter

 今まで思っていた、いいことも悪いことも全て自分次第だなんて考えは、もしかしたら間違っていたのかもしれない。…ってことですかね。これ当初は、今回のいいことのために今までの悪いことがあったんだ、的なことが書いてあるんだと思ったのですが、そしてそれなら「おー、私の思ってる真理!」と思ったのですが、文が難しいので解釈が二転三転して、結局"最初の解釈と方向性は同じだけど、微妙にずれてる"というところに落ち着きました。

 私はイーユン・リーの"Death Is Not a Bad Joke If Told the Right Way"という短編がすごく好きなんですが、そこにはこんなフレーズが出てきます。

No one will have more good luck or bad luck than heaven permits. And no one will have all good luck or all bad luck, 

Death Is Not a Bad Joke If Told the Right Way

 いいこともあれば、同じだけ悪いこともある。そしてそれは天命によって決められている。中国人のパンおばさんは、そう考えるんですね。こっちの表現の方が、もっと直接的に私の考えに近いかなと思います。いずれにしろ、こういう人生論みたいなのが入ってくると、はぁ…うまいなあ、と思いますね(何目線)。ちなみに私の中ではこれとあと、太宰治の「ただ、一さいは過ぎて行きます」が、この世のかなりの真理だと思っています。

 結局おじさんは、この件で新たな居場所を見つけたように感じて、でもそこにはやっぱり入れなくて、自分のどうしようもない現実に戻って、ちょっと自暴自棄になるところで話は終わります。

 …でも私は、この人はそんなに絶望することはないと思うんですよねー。だってちゃんと取り上げて無事に生まれたのは事実だし。思ったほどの結果にはならなくても、いいことをしたのは事実なんだから、別にそこに、誇りを持って生きればいいと思いますけどね。

 ともすると、新しい命にだけ希望があって、枯れていく命には価値がないみたいな。途中そういう思想が滲み出ているような気がしないでもないんですが、仮にそうだったとしても、私はそうは思いたくなくて。むしろ、いくつになっても、どんな環境にあっても、人には誰も、輝く瞬間があるっていうこと。そういう話だと思いたいんですよね。
 例えば私はニュースを見ていて、たまに名もなき一般人とか警察官とかが、すごいお手柄を立てて、それで事態が急展開したりするのを見ると、「ああ、今日はこの人の人生において、最高の一日になったんだろうな」とか思っちゃうんですが(失礼)、何か…それに近いものを感じますよね。結果がどうであれ、今回の出来事はこの人の人生にとって間違いなくハイライトなんだから、それでいいじゃないって。この人が、前より少しだけ自信を持って生きられるようになっていたら、そうじゃないと思うけどそうだったらいいなと思います。

 とまあ、そんなことを考えさせられる小説でした。自分の人生観を再確認できて、読んでよかったなと思いました。


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