見出し画像

「ノート」 と 「Note」の使い分け

おひさしぶりです。

2024年初投稿

遅ればせながら
新年もよろしくお願いいたします。
とは言いつつ、
もう1月も終わりますねー

日々があっという間で
より一日一日大切に過ごしたいものです。

昨年末に無事25歳になりまして、
より気持ちも引き締まり
自分の存在する理由や価値を明確にしていきたい
そう思う気持ちが強くなってきました。




かなりアナログ体質なワタシ。

PC / iPad も持ち歩いている関わらず、
紙とペンがないとなんだか落ち着かない。

本も電子書籍は苦手。
紙がいいの


PCもiPadも
もちろんiPhoneも毎日使うけれど。


去年からの習慣として、
なるべくほぼ毎日日記をつけるようにしている

ほぼ、と書いたのは
「毎日書く!」と決めてしまうと
特に書くことがなくても
" 書かなければ ” 
という自身のプレッシャーに勝てないと知っているから。

何度も三日坊主になっているのに
どの細胞からやってみようという気持ちが湧いたのか?


日々の出来事やその時の感情を
自身の脳の記憶だけじゃ
覚えていられなくなってきた


という
なんともロマンもエモさもない理由。


あっという間に過ぎていく日々を
忘れたくない、


何も無い日も
愛おしい日々。




基本的には

2年前に購入したお気に入りのノートに
お気に入りの万年筆で。

ノートには日々の出来事を記録し
たまにこうしてNoteで自身と向き合う時間が必要なのである。

以前も書いたが
私にとってNoteという場所は
公開している日記。

特に"感情”にフォーカスして
出来事と結びつく「ナニカ」を整理していることが多い。

ですます調でないのも
客観的に自身と向き合っているため
”ワタシ” であり "私" でない。

なんとも不思議な
中間のような存在で綴っている気もする。

そのためか、
改めて自身が書いたNoteを読むと
『これは本当に私が書いたのか ?!? 』
と驚くことが多い。


自分の感情ほど
難しく操りにくいものない


どのような出来事から
どういう感情になったのか

瞬時に自身で理解し整理することは苦手分野。

そのため日々日記に認めることで
出来事を振り返り
そして整理をする。

つい先日昨年の日記から今日のものまで
改めて見返したタイミングがあったのだが

ノートの日記には“感情”をあまり書いていない
ということに気が付いた。

決して”感情”は書かない、と意識していたわけではないが

何故書かなかったのか
何故書けなかったのか

すぐに理解できたのは
自身の性質をよく理解していたからだ。

先程も書いたが
感情を瞬時に認識するのが苦手な私には

紙に
ペンで

即座に感情を認めることは
とても難易度が高いこと。

ましてや
一度ノートに書いてしまうと
書き直すことが途端に困難に思えてくるからだ。

フリクションで消した際にできる
微かな跡も
細かなシワも
ごまかしたミノムシも

HSPの私には
とてもストレスがかかってしまうらしい。


それに比べてこのNoteという場所は

何度書き直してもいい
しかもその文字を訂正するのに必要なのはボタン1つ。

私には非常に気楽で
感情の整理にはもってこいのツールなのである。


感情を持たないデジタルが
最大限に私の思いを引き出す


なんとも不思議なことである



いわゆるメモを取る
アイディアを残す

それは紙とペンがいい。
殴り書きでぐちゃぐちゃでいい。

もはや人に見せられないくらい汚い。

それでいい、


日記となると
そうはいかないらしい。


変な めんどくさいやつなのである。



では、また。


marine




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?