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自由はツライよ (イタリア南端で弱る編)

住所不定になって、5ヶ月目に入った。

(上の写真のおじいちゃんは、ご飯屋さんのレジ前でなぜか爆睡していたのをパチリ)

スゥエーデンの留学先を出て、ヨーロッパを南へ。東欧やスイス、オーストリアのファーム滞在を経て、10月にイタリアに入って、ようやくヨーロッパの南端、シチリアにたどり着いた。

ところが、途端にものすごい疲れに襲われている。とにかく、何もしたくない。ベッドから起き上がると、頭がいたい。食料を調達する以外は、ひたすらこんこんと眠っている。

でも、不思議なのだ。1週間前はローマで扁桃炎のような症状(病院にかかれないので、あくまで推測)で、4日くらい寝込んだ。体はそんなに疲れていないはずなのに。。??

思うに、頭、脳みそが疲れているのかもしれない。

いま何がしたくないって、能動的に何かを決めて動きたくない。もう何でもいいから、勝手に決めてくれーーー‼︎という気分なのだ。長い放浪に出て気づいたことは、何にも縛られていないので、『全部自分次第!!』ということだ。仕事もない、面倒見ないといけない家族もいない、学校もない、しないといけないことは特にない。お金の制約以外は、とことん、自由なのだ。

友達には、うらやましい!!とみんなに言われる。そんな旅、人生でやりたくてもできない人の方が多いよ!!とも言われた。そうかもしれない。私もやりたくてやっているし、それなりに楽しい。

しかし、と思う。

生活のすべて、つまり起きる時間から三食は何を食べるのか、どこで食べるのか、どこで買うのか、何をするか、どこで寝るか…。ただ生きるだけでも、なにもかも決断しないといけない。新しい街で駅の場所しか分からない中、調べて、聞いて、比較検討して、予算を考えて…。それを数日おきに、一から繰り返す。

目新しさも刺激的だけど、決断の連続は思うより脳の容量を使うらしい。日本にいた時は、仕事がとにかく忙しかったし、疲れてはいたけど、それで充実した気分がしていた。人生さかのぼってみても、周りの声や、社会のこうしたもんだというプレッシャーや、競争やらに影響されやすい私は、何だかんだ一定の選択肢の中で、目の前の壁をクリアしていくことに追われていた気がする。

つまり、こんな自由だったことは今までなかった。むしろ何をやるか決められることに慣れてきた私にとって、完全に未知の世界。しかし、そこで身にしみたのは、自由って大変、、、ということだ。

人間はワガママなのかもしれない。でも、例えば、コミュニティファームに滞在していた時、かぼちゃの葉っぱがしおれたらそれは収穫のサインだったし、今日1番畑で熟れている野菜によってご飯のメニューが決まった。雨が降ったら、休み。疲れたら、作業はボチボチ、たまにやる気が湧いて大量のケーキを焼いたりもした。

自然のリズムに合わせて、その流れの中で生活が作られていく。その上で、工夫したり、面白いアイデアを生み出したり。そして日々、自分の状態や、やりたいこと、気分の移り変わりなどなど、自分がちゃんとご機嫌でいられるように、自分に対しても耳をすます。

そのバランスが、私には心地よかった。

全部自分でコントロールするよりも、自分にとって心地いい大きな流れに身を委ねつつ、自分をチューニングしていく。そんな日々のリズムと流れが今の私には、必要かもしれない。

旅は続く。


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