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それは、誰のために聞いていますか?「聞く」が持つ力

それは、久しぶりに会う友人夫婦とともに、目的地に向かう車の中だった。

「最近どう?」から始まったたわいもない会話は、私の相方が「この人(私のこと)は最近、退屈しているらしいよ」と振ったことで、私の近況やら最近思うことへと話が移った。

妊娠、新しい仕事、移住、新しい人間関係…。ここ最近、人生の急激な変化の中で、私は自分の居場所ややり方が見つけられずにもがいていた。何か一つの問題がある、というよりはいろんな気持ちが入り乱れて、なんとなく言葉として出てきたのが「今の生活だけだと、退屈に感じる」という感想だった。

「なんで?」「それってどういうこと?」「こういう意味?」

私のごちゃごちゃした混乱に対して、友人夫婦からめちゃくちゃクリアな質問が次々に飛んできた。わかるように答えなきゃ。プレッシャーを感じて、自分がギュッと緊張したのがわかった。なんとか整理して答えようとするけど、自分の気持ちからはどんどん離れているような感じがした。

しばらくすると、会話は別の話題へと流れていった。

それはごく普通の会話での、ちょっとした出来事にすぎない。会話とはそういうものだ。どんどんと移り変わっていく。頭ではわかってはいるのだけど、私の気持ちは少し傷ついたような、取り残されたような感覚だった。

それは、私にとって大事なことが、相手に軽く扱われたような感覚だったのかもしれない。例えば、失恋した時、女友達の集まりでみんなから色々聞かれるけど、自分としては気持ちの整理もついていなくてその場の話題のひとつとして扱われなくないような状況に似ているかもしれない。

そこには、「ニーズの違い」がある気がする。

相手には、「自分が(私のことを)理解したい」というニーズがある。だから、聞く。アドバイスをしようとしてくれているのかもしれないし、興味本位かもしれない。いずれにしても、それは相手のことを思っている部分はあるけど、基本的には<自分のため>に聞いている。

一方で、私には、「ただ、話を聞いてほしい」というニーズがあったのだと思う。相手に理解してもらうために言葉を選んだり、ジャッジを恐れたりすることなく、ただ私は気持ちを言葉にしたい。そこに寄り添ってほしい。つまり、<私のため>に聞いてほしいと思っていた。

同じ<聞く>でも、こんなにも違うものなのか、と改めて感じた。聞くという行為は、静かで受動的にみえるけれど、相手に与える影響はすごく大きい。

自分だって、友達や家族が大変そうなとき、気持ちをシェアしてくれたとき、役に立ちたくて、ついつい自分目線で状況を聞きだしたり、アドバイスをしようとしたりしてしまう。それは、相手を思う気持ちはあっても、相手のためのかかわり方ではなかったかもしれない。自分のニーズを満たされずに、相手のニーズで聞かれることのしんどさを感じて、反省した。

後日談だが、そのモヤモヤした気持ちを、相方に正直にぶつけてみた。そのとき、彼がただ耳を傾けてくれたことで、私は自分のニーズに気づくことができたし、自分の悩みにも向き合ってみようと思うことができた。

「聞く」って本当にパワフルな行為なんだと思う。日々の暮らしの中で、ついつい自分目線が優位になってしまうけど、小さくても相手のニーズを感知できるようなスペースは持っておきたい。

「自分はいま、誰のために聞いているんだろう?」

忘れそうになったら、そう問いかけたいなと思う。

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