見出し画像

【エッセイ】ワタシの父と母

上のアイキャッチ写真は、1959年に結婚式を挙げたときの父と母です。

今年も8月9日がやって来た。
午前11時2分、長崎に向かって手を合わせる。
 
昼過ぎ、電話が鳴る。母からだ。
「お誕生日おめでとう。57歳になったのね。私が歳をとるはずよねぇー」
57歳といえば、母が仕事を辞めた年。夜勤がつらくて、定年を待てなかった。母が「看護婦」と呼ばれていたころの話。

母は仕事を辞めてから、父と二人で海外旅行を楽しんだ。エジプトのピラミッド、ペルーのマチュピチュ遺跡、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂、カンボジアのアンコールワット遺跡群、中国の万里の長城。世界三大瀑布も行った。南部アフリカでサファリもした。オーロラも眺めた。北極、南極も加えると、50以上の国と地域を訪れた。
富士山には、76歳のときに登った。
 
それが一昨年、痛んでいた左の股関節を削り、金属製の人工関節に置き換える手術を受けた。その後、入院生活は2ヵ月続いた。

昨年は、右の膝に人工関節を入れた。再び2ヵ月入院して、やっと退院できたと思ったら、腰椎の第二関節を骨折。

今年は、右の股関節を人工関節に換えて、またまた2ヵ月の入院。術後の経
過は良好だといわれたが、思うように歩けない日々が続いた。今年の入院が一番こたえたそうだ。

母は90歳。本来なら全身麻酔を伴う手術が受けられる歳ではないだろう。実際に市内の病院では断られた。

市外の病院で手術前検査を受けたら、異常が見当たらなかったので、やっと手術を受けられた。

「心臓は90歳と思えないほどしっかりしている」と医師に褒められたそうだ。

手術から4カ月がたった今、杖なしで歩けるようになった。台所にも立てる。母からは、前向きな言葉が聞かれるようになってきた。
  
そんな時、母がとんでもないことを言い出した。
「もう一度、フランスのリジュ―へ行きたいの! お父さんとあなたと3人で行きたいの!」
父と私たち夫婦は驚いた。
「フランスではマスクつけてないんだよ。高齢者が行ったら、重症化して、入院することになって、大変なことになるよ」
そういって諫めたが、後味が悪い。あれほど海外好きな母が、6年前、モナコを訪れてから出国していない。気持ちはわかる。それに、もう一度行きたいという意欲が出てきたことは嬉しい。しかし……。
 
次に、父が電話口に出てきた。
「お誕生日おめでとう。お母さん、フランス行きを反対されて、ちょっとふてくされてるよ。ハハハ! お母さんの内臓はしっかりしてるから、長生きすると思う。だから、これからいくらでも行くチャンスはあるって言ってるんだ。お父さんは、あと数年だがな」
最近の父は、二言目には「あと数年」という。
 
父は96歳。身長が180センチあるのに、体重は57キロしかない。食欲はあるが、なかなか太れない。数年前に虚血性心不全と診断されたが、薬が合っているようで体調はいい。

車の運転は、今も危なげなく続けている。2年前、運転免許の更新時期となり、返納することも考えた。けれど母は手術を受ける前だったので、今のように歩けなかった。運転技能検査も、認知機能検査も、満点で合格してしまったので、もう一度更新した。
 
夕方になると思い出す光景がある。
テレビドラマ『水戸黄門』の再放送が始まると、父は母のベッドに座る。母は父の膝にちょこんと両足を載せると目をつむる。父は母の足をもみ始める。黄門様の印籠が出てくるころになると、母が目を覚ます。
「楽になったわ。お父さんありがとう」

父は、今日も母の足をもんでいることだろう。この光景を、私はずっと忘れないだろう。
 
今日も元気な声が聞けてよかった。日に日にできないことが増えているが、補い合って暮らしている。

今日は私の誕生日。この世に誕生させてくれた両親に、感謝の気持ちを込めて、このエッセイに贈ろう。

来年こそは、母の希望どおり、3人でフランス旅行できたらいいな、と思っている。

(2022年8月9日に書きました)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。 また読んでいただけるように書き続けたいと思います。