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【エッセイ】19歳の思い出

先日、大掃除をしていたら『フィリピン体験学習の思い出』という文集が出てきた。

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今から35年前の夏休み、同年代の男女20人とフィリピンを訪れ、帰国後、みんなで感想を1冊にまとめた。当19歳の私にとって、初めての海外旅行だった。どんなことを感じ、どんなことを書いたのだろう。恐る恐るページをめくる。

まず、2週間の旅のスケジュールが書かれていた。首都マニラでは、マザーテレサの孤児院などを訪れた。その後、バギオという地方都市に移動して、ホームステイを体験した。

私を受け入れてくれたのは、お父さんと娘夫婦と孫娘の4人家族だった。小さな家に住んでいて、普段はつつましい生活をしているのだと思う。しかし客人の私がいる間は豪華な食事を出してくれたようだった。敬虔なカトリック信者で、食事の前は家族で心を一つにし、感謝の祈りを捧げていた。

日曜日の朝、教会へ持って行くために、庭の花をバケツ一杯準備していた。その花の中から、娘さんが私のために小さなコサージュを作ってくれた。
「これをつけて一緒に教会へ行こうね」
わざわざ作ってくれたことが、とてもとても嬉しかったことを思い出す。

フィリピンの人は、一張羅を着て教会へ行くようで、私も白いワンピースを着て、そのコサージュをつけて教会へ行った。ミサが終わった後、家族で撮った写真がどこかのアルバムに入っているはずだ。


右から娘さん、娘さんの旦那さん、お父さん、私

私が帰る朝、お父さんは仕事を休んで見送ってくれた。お父さんの姿が見えなくなるまで、泣きながら手を振り続けた。

帰国して礼状を出し、そして返事をもらったが、今はどこかへやってしまった。あの家族はどうしているだろう。孫娘は今年40歳になっているはずだ。

ホームステイ先の近くに小さな小学校があって、外国人の私たちのために歓迎会を開いてくれた。子どもたちは歌や踊りを披露してくれ、私たち20人は英語や日本語の歌を歌った。グループの中に徳島出身の女の子がいたので、彼女の後について、見よう見まねで阿波踊りを踊った。すると、その場にいた100人余りの子供や先生も踊り出し、大変な熱気に包まれたことを思い出す。フィリピンの子どもたちはどの子も人懐っこい笑顔を見せてくれた。目はキラキラ輝いていて、まさに天使だと思った。

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感想文はこう結ばれていた。
「フィリピンには日本がなくしてしまったものがあった。フィリピン人は物質的には貧しいかもしれないが、私が出会った人々は、日本人よりずっと心が豊かな人ばかりだった」

帰国すると、日本人の暗い表情が気になった。目が輝いていなくて、疲れ切っているように感じた。それに比べフィリピン人は、一日一日を楽しんで生きていて、日本人より幸せに見えた。当時の私からはそう見えた。そんな意味のことを書いていた。

しかし、35年経った今、19歳の私の感想に違和感を感じる。高度経済成長期に生まれ、何不自由なく育った19歳の小娘が生意気なことを書いている。顔から火が出る思いがした。

もし、あの時の自分がここにいたら、こう言いたい。
「19歳の自分よ、これからいろんなことを経験する。一つ一つ真摯に向き合っていきなさい」

そうつぶやいて文集を閉じ、大掃除に戻った。

(2020年1月に書きました)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。 また読んでいただけるように書き続けたいと思います。