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Johnのお陰で英語が上達した🇬🇧

私は元来怠け者だ。

余程興味のある事でなければどーでも良いし、人参がぶら下がっていなければ走らない馬だ。(私は午年だ)

中学1年生になり、英語という謎の科目が加わった時、

「何で日本人で日本にいる人間が態々他の国の言葉を勉強しなければならねんだよ、英語なんか話せなくても生きていけるじゃねーかよ。」

と、全然勉強しなかった。

が、しかし。

父の仕事の都合で突然、日本の裏側の国、ブラジルへ引っ越す事となった。

しかも、その国はポルトガル語が公用語、更に私はその国にあるインターナショナルスクールに転校、英語をマジで勉強しなければならなくなった!
英語はまあ、多少は単語を知ってる程度だったが、ポルトガル語?なんて全く未知の言葉だった。

さて、そんな私はブラジルへ行き、いきなりインターナショナルスクールに飛び込んだ。皆、何を話してるかわからない。宇宙にでも来たような感覚だった。授業も勿論ついて行けないし、最初の1年はここは何処?私は誰?状態の、聴講生扱いだった。

一方、現地のブラジル人の友達は沢山出来、ブラジル人の友達といると楽しくて仕方がなく、意外にもポルトガル語の覚えの方が英語よりリードしていた。興味のある事はすぐに頭に入って来るものだ。また、ポルトガル語の方が聞き取りやすく、発音がローマ字読みなので、私にとっては覚えやすかったんだろうな。

ま、インターナショナルスクールの英語だって、そのうち覚えるだろう、と、全くやる気なしの姿勢でチンタラ覚えていたが、興味がないのと、当時特別親しい友人もいなかったので覚えが悪かった。そりゃそうだ、英語が話せなければ親しい友達だってできない。

しかし、そんな私に転機が訪れる。

ある日何気にMTVを観ていた。

するとそこに、ギターを抱えためちゃくちゃ美形なお兄さんが登場したのだ! グループで活動しているようで、ヴォーカルがいてキーボードがいて、ドラムがいて、ギターが、という感じだったが、私はギターのお兄さんに釘付け😍😍😍😍😍😍

最後にグループの名前が出てきた。

Duran Duran ✨

私はすぐに、インターナショナルスクールの同級生に電話をした。Duran Duran って知ってる? あの、ギター抱えた超イケメンお兄さんって誰?!

「マリア、今頃何言ってるの?Duran Duran は英国出身の大スターよ!素敵に決まってるじゃない!ギター抱えたイケメン兄さんはね、John Taylor って言ってベース担当。1960年6月20日生まれで22歳。身長187cmの長身ダントツイケメンだから一番人気あって当然。」

「ねえ、これから遊びに行っていい?Johnの事もっと詳しく教えて!」

16歳の私はJohnにひと目惚れしてしまったのだ。

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それからと言うもの、私はJohnの虜となった。若かったな。何者かもわからないイケメン兄さんをひと目見ただけで惚れてしまうんだから。

Johnに関する情報を集める為、インターナショナルスクールでの仲良しは急激に増えた。Duran Duranのファンの子が学校中無数にいたからだ! 

Duran Duranの曲の歌詞で私は英語を物凄い勢いで覚え始めた。そう、万が一、万が一に備えて英語の猛勉強が始まった! 万が一とは、もしかするとJohnが私にプロポーズしてくれるかもしれない、という万が一だ!

同級生達は呆れて「ないないないない!」と言うが、そんなのわからない!

私は毎日朝から晩までDuran Duranの曲を聴き、わからない単語を友達に教えて貰った。

New moon が「新月」だという事もDuran Duranがきっかけで覚えた。
New Moon On Mondayのベースギターを弾くJohnがセクシー過ぎて気絶しそうになった。

私の英語力はJohnのお陰でポルトガル語を一気に追い越した。鰻登りに上達し、先生方も驚いた。周りが何を言っているのかわかるようになれば、学校の勉強も楽しくなり、自分が英語を話せるようになってる=Johnに近づいてる、というおかしな高揚感でいっぱいになっていた。Johnが普段話してる言葉、ってだけで特別な言葉のように感じるから不思議だ。17歳になり、ブラジル人の恋人が出来たが、私は常に、「もし、Johnにプロポーズされた時は、私の事を諦めてね。」と、伝えていた。そんな馬鹿な私だった。

部屋にはこんなポスターを貼っていた。懐かしい!

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それは私が18歳の頃だった。

Duran Duranのコンサートにクラスの仲良しの友人と行く事になった!
丁度 The Reflex が流行っている頃だった。

クラスの友人のお父さんが、コンサートのスポンサーの一人という事で、何と、私はDuran Duranに会えるというビッグチャンスを掴んだ!コンサートに行けるだけでも凄い事なのに、直接Johnに会える!もう私、人生の運を全て使い果たしてしまったのでは、と、クラクラした。コンサート前夜は彼氏に電話をし、

「もしも明日、Johnにプロポーズされたらごめんね。」

と、真剣に話す私だった。彼氏は笑いながら

「ああ、わかった。結婚式には呼んでね。」

と、言っていた。

Duran Duranとはコンサートの後に会う予定となっていた。コンサート会場は熱狂的に盛り上がり、本当にこの後、Johnに会えるのだろうか?と、ドキドキしながら不安にもなった。他にも会いたい人は沢山いるだろうに、と。

しかし、友人のお父さんは結構力のある方だったらしく、短時間ではあったが、Duran Duranのメンバーと奇跡的に会わせて貰えた!私も友人も一人一人と握手し、友人は着ているTシャツの背中にJohnのサインをしてもらっていた。John を前にした私は夢を見ているようにボーッとした。握手をした時John は

「僕は短命だとある占い師に言われたが、本当だろうか?」

と、吃驚する事を言い出した。 ??? 後で聞いたが友人のお父さんが、この子の占いは当たるんだよ、と、話していたらしい。余計な事を!

思えばいつもこうだ。有名人著名人と会うと何故かセッションのようなおかしな流れになってしまう。リッキー・マーティンの時もそうだったし、ホール&オーツのジョンの時なんかいつの間にかガチのセッションのようになっていた。(ジョンとはハードロックカフェで随分話し込んだ)私は占いに入り込むと緊張感が薄れ、相手は誰であってもクライアントさんの一人にしか見えなくなる。

「大丈夫です、短命ではないし、Duran Duranは長く続きます。お爺さんになっても私にはあなたがベースを抱えて皆の注目を浴びている姿が見えます。」

と言うと、Johnは笑って

「爺さんになってもDuran Duran が続いている?僕がベースを抱えて注目浴びてる?まさか(笑)ああでも、短命じゃないなら良かった。ギターは好きだ。年取っても抱えていたい。元気が出たよ、ありがとう。」

と言って、ハグしてくれた。

私は一気に脱力した。

丸で夢を見ていたかのような不思議な気持ちだった。あれは夢だったのでは、と、今でも思う。

部屋に戻ると彼氏から電話があった。

「結婚式の日取りは決まったのかい?」と。

私は泣いた。プロポーズはされなかったけど、Johnに会えて、握手やハグが出来て凄く凄く嬉しかった事。

「残念ながらプロポーズはされなかったけど、でも夢のような素敵なひとときだった。」

「それは良かった。」

彼氏は15歳も年上で大人だったから、私が帰って来たらどうやって慰めようかと考えていたのだろう。
彼は私のJohnへの憧れの気持ちがどんなものなのかをちゃんと知っていた。
長身イケメンのJohnは確かに素敵だった。だけどやっぱり私を優しく包み込んでくれる、ホッと安心できる彼がいい。あ〜あ、やっぱり私はどんなイケメンが現れても彼を愛してるんだな。Johnと会って改めて思った事だ。
(しかしJohn はこれ迄に会った事のない程の超絶イケメンでとても素敵だったなあ、って可也長い事余韻に浸っていた💓)

Johnは現在、還暦だ。私が思った通り、今もベースを抱え、Youtubeで配信し、多くの人達を魅了し続けている。

Johnは大昔の日本人の1ファンの女の子が言っていた事なんて忘れてるだろうけど、Johnはまだ健在でDuran Duran は今も大人気で、ベース抱えて楽しそうにしてるじゃない?

私はJohnのお陰でインターナショナルスクールを無事卒業できました🎓✨

John ありがとう💓


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