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『Tropical Night / 熱帯夜』短編6/6

 警察署の前から乗ったタクシーが、デニーズに着いたのは二時十分前だった。店に入ると若いウェイトレスがレジの前で待っていた。あたしは訊かれるまえに指を四本立て、案内された窓ぎわの席にルルと並んですわった。
 あたしはアイスコーヒー、ルルはコーラをたのんでメニューをかえした。客の入りは五分ほどだった。目につくのは若いカップルやグループで、刑事らしき人は見あたらない。土曜深夜のファミレスは、いつもどおり平和だった。
 まったりとしたなかで時間がたつにつれ、しだいに恐さがうすれ、緊張もゆるみ、かわって疑わしさが増していった。殺人犯が、こんなところにのこのこやってくるのか、捕まりにくるようなものだとは思わないのか。
 あたしはルルを見た。警察署で会ったときはあたしを巻きこんだことを、しゃくりあげながらあやまりつづけたけど、いまはメイクもなおしてずいぶん落ちついて見える。
「こないね」
 バスでも待つようにルルが言った。あたしは腕時計を見た。二時十五分、約束の時間を十五分すぎている。警察からは一時間は待っているようにと指示されているから、あと四十五分。
「ルル、なにか食べる」
「うん。メニューをもらおう」
 あたしはレジのウェイトレスに手をふった。そのとき二人の男が店に入ってきて、一人が手をふりかえした。ツヨシだった。
「店の前で会ったんですよ」
 ツヨシが右手の親指で幹也を指さした。
「幹也さんもいっしょなら、そう言えよルル」
 ルルがふりむくのとどうじに、あたしは彼女の太ももに手をおいた。
「ケイさん、きょうは感じがちがいますね。なんかOLさんみたいですよ」
 軽口をたたいて、ツヨシはルルの前に腰をおろした。
 あたしは幹也を見た。幹也は真っ青な顔で立ちつくしている。
「すわったら」
 あたしは声をかけ、彼をすわらせた。
「えーと、なんにすっかな」
 ツヨシがはこばれてきたメニューをパラパラとめくる。
 幹也はメニューには目もくれず、充血した目であたしを見つめている。
「よし、これにすっか。アメリカンクラブハウスサンド。ルルも食べる」
 顔をあげたツヨシがメニューをほうり投げてあわてふためく。木田、鯵坂両刑事が、二人の制服警官をしたがえて立っていた。
「ルル、警察を呼んだのかよ。バっカだな、冗談だよ、冗談。おまえが言ってた借金のこと、利麻子ママに聞いたら、ルルにからかわれたんだって言われて。それでこっちも、ちょっとからかってやろうと思っただけなんだって。わかってる。言っていい冗談じゃなかった。いまは悪いと思ってる。だからあやまろうと思って。刑事さん、オレはやってないですよ。利麻子ママが殺されたってきいたのは、スカーレットを出たあと──」
 ツヨシの懸命の弁明も途中からは耳に入らなかった。あたしは幹也を、幹也はあたしを見つめていた。
「あんたがやったのね」
「騙したのか」
「どっちがよ」
「信じてたんだぞ」
「あたしもよ」
「くそ女」
「ゲス野郎」
「そこまでだ」
 木田刑事が肩をたたくと、幹也は腰をあげ、制服警官が両腕をとった。

 熱帯夜の連続記録は二十二日でとまったが、ねばりつく熱さはあいかわらず。ブラックバードの店内もエアコンといっしょに二台の扇風機がまわっていた。
「警察は最初から、幹也が犯人だと、にらんでたんスよ」
 コウはビールをごくりと飲んで、自信ありげに言った。
「そうなの?」
 和江ママが疑わしげにコウを見て、あたしに訊く。
 殺す気なんてなかった。すこし貸してもらおうと思っただけなのに、あの女、俺のことをヒモだとか、親の顔が見たいとか、あんまりひでえこと言うから……。
 警察で幹也はそう自供したという。あたしはギムレットをひと口すすって言った。
「トイチの顧客リストに、幹也の名前があったって」
「誰から聞いたの」
「刑事さん」
「ほらね、オレが言ったとおりじゃないっスか」
 コウは得意げに身をのりだして、カラになったビールビンをふった。
「でもあのとき、デニーズに幹也がくることを知ってたのは、あたしだけなのよ」
「えっ、そうなんスか」
「そうよ」
「警察が呼びだしたんじゃないんスか」
「警察が呼びだしたのはツヨシ」
「なら、幹也を呼びだしたのは」
「だから、あたしよ」
 コウはあたしを見て眉根をよせた。
「ケイさん、警察が張ってるってしってて、幹也を呼びだしたんスね」
「彼、言ったのよ」あたしは汗をかいたグラスを見つめた。「やったのはツヨシだ。店から出てくるのを見たって。それってつまり、彼も店に行ったってことでしょう」
「そうとも言い切れないと思うけど……」
「あたしも半信半疑だった。でもデニーズで幹也と会ってわかったの。やったのは、彼だって」
「それなら犯人を逮捕できたのは、ケイさんのおかげじゃないっスか」
「それはどうかしら」あたしは顔をあげた。「ツヨシの件でアパートに刑事さんがきたとき、女の刑事さんには、マイクをつけるからえりのある服を着てくれといわれたし、男の刑事さんには、幹也から連絡はありませんでしたかって訊かれた。あたしはとっさにウソついちゃったけど、きっとバレてたのね」
「つまり警察は、ケイさんを見張っていれば、幹也があらわれる。そうふんでたってことっスよ」
「さっきと、言ってることが、ちがうじゃない」
 和江ママが言うと、
「ちがわないっスよ。警察は──」
「もう、いいわよ」
 ビールのおかわりを置いて、ママは言った。
「ルルちゃんは」
 さいわいルルには、なんのお咎めもなかった。木田刑事は管轄違いだと言ったけど、あたしは〝お目こぼし〟だと思っている。
「立川で、買物だって」
「こりないっスねー」

 それでこそ赤線の女。
 あたしたちは、ちょっとやそっとじゃくじけない。
 スカーレットも、来月にはリニューアルオープンする。
 新しいお店の名前は『K』。

〈 了 〉



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