主が呼んでおられる

讃美歌517番
我に来よと主は今、優しく呼び給う。
などて愛の光を避けて彷徨う。
「帰れや、我が家に帰れや」
と主は今呼び給う

クリスチャンホームに生まれながらも、愛される喜びを実感できずに育ってしまった子供時代に私が感じたのは、
愛は雁字搦めに人を縛り身動きできなくすると言う事でした。
両親から信仰は受け継ぎましたが、みことばの捉え方も違い、いつも意見が衝突しました。私は多分とても生意気な娘だったと思います。(今でもとても生意気ですが…)
イエス様が世界で一番好きな人で、二番目に好きな人はサンタクロースという子供だったことは、本当に幸いなことでした。
幼い心ながら神様はただお一人でイエス様は私の救い主だと信じて育つことも出来ました。ただただそう信じていただけでした。
高校を卒業し短大に入ったころ、両親は離婚することになりました。母に負担をかけないため私は学生結婚を決意しましたが、二年で破局を迎えました。父の家に戻り、その後何か月かで自立しました。五年程一人で暮らし二人の男の子がいる男性と再婚しました。この時に長男と長女を出産しました。けれどもその夫は家庭内暴力が酷く、今でいうDVなどと言う言葉はなかった時代で、警察に逃げ込んでも役所に相談に行っても相手にはされません。何とか幼い二人の子供を連れて逃げた時には身も心もボロボロでした。外を歩くと恐怖心が沸き起こり、小さな物音にも怯えていました。
何回か教会へ行きましたが、子連れでゆっくりと礼拝出来る教会が見つからず落胆しました。将来の不安も重なり、私は神様に呪われているんじゃないかと思いつめるほどでした。
けれども自分の時間が少し与えられたことで、ビデオをレンタルしキリスト教的映画を何本も観ること出来ました。「バラバ」と言う作品を見た時は眠っている子供たちの横で大泣きしていました。キリストの生涯を描いた作品を見て、イエス様がもっと身近に感じるようになりました。聖書も再び読めるようになりました。
少しずつ心の体力を取り戻していたのだと思います。
長男が4歳になった時に、友人の娘が通っていた教会幼稚園に入れました。知らない教団の教会だったので何度か礼拝に誘われましたが、足が向きませんでした。
ある日再び「婦人礼拝」があるからと誘われて、断り切れずそのまま礼拝にお邪魔することになりました。
開かれた聖書箇所はヨハネによる福音書で、スカルの井戸辺で水くみに来た女とイエス様が出会う場面でした。
ちょうどその頃三番目の夫と出会い付き纏われていて、逃げるに逃げられずにいた時でした。水くみに来た女と自分がまさに同じ状況に想えてしまい、震えと涙が止まらなくなりました。
「イエス様が私を呼んでいる」と強く実感した瞬間でした。
こんな風に実感を伴って、私の人生に介入してきてくださることを経験したことはそれまでありませんでした。主は生きておられると感じました。この体験は私に大きな転機をもたらしました。
心が主を求め、みことばに飢え渇きを覚えるようになっていきました。そして満たされる喜びを教えられました。




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