他人にとって良い人を抜けるのが怖い

ぶっちゃけ本音を抑え続けて
なにが本音でなにが偽かわからなくなっている。

わたしもそんな時あった。

対人的なお仕事をしているならなおさら。
内心は「コレいやだ。コレがいい!」
って思っていても
そう思ってはならない
そんなのわがままだ。
好き嫌いはエゴ。
調和が大切。
と、言い聞かせ
いい人の呪縛を解き放てないでいるから。

わたしは
ゴリゴリの対人的なお仕事から卒業し
お客様も選べる?!
というじぶん起業・天命ビジネスの世界に入って
人に気を使う 
サービスをする
ケアをする
はたまた
お客様を傷つけないために
自分の本音を押し殺す(黙る)
ことが激減した。

だからこそわかる。
対人仕事では
「お仕事だから」
と、本音を押し殺し
相手を気分良くさせるのが
当たり前すぎて違和感などはない。 
本音はいやだと言っているのに
妥協して我慢させている。
そのストレスって
いちばん身近な身内に向けやすい。
自分以外の人への気持ちを優先させて
自分の本音を無視していると
自分若しくは身近な人を
ぞんざいにしてしまっている
と感じる現象が現れる。

じぶんが本当はどうしたいのか
本音を見るのが怖い。
なぜならわかってしまって
そのしたいことだけにしてしまったら
生活の安定が失われてしまう。
奥底で怯えているのだ。
ずっと怖いんだ。

でもその怖さは幻。
それを手放せば
魂が咽び泣いて喜ぶくらいの
自分だけの幸せに出会えるのに。

しかし全ては体感なので
言語でわたしが伝えても伝わらない。
暮らしていくために
お金が必要で
そのためには自分を押し殺すことは
当たり前のことすぎて
違和感すらも湧かない。

でもその人たちはそれでいいのかもしれない。
そう決めているし変わるなどと恐ろしいことは
今世ではしたくないのかもしれない。

というのも
まだわたしの奥底にある
びびりなじぶんが
それを見せてくれている。
100%他人に気を使わず
自分軸に突っきれば孤独になってしまう…。
と不安がっているのがわかる。
人当たりがよく優しく善良で安心感のある人になれば
確かに癒されたい多くのひとたちが
周囲に集まってくるだろう。
そして人を介し経済も動くだろう。

だけど魂は叫んでいる!
そうじゃない。
安心や安定やなんらかのケアを求めて集まってくる人の世話役をしてきた人生はもう終わり。

もうこの地球は
自分で自分を癒せることに気づいたから
すでに癒されている。
もうその世界にわたしたちはいるのだ。

文化文明が栄える時代のように
物質的豊かさより
枯れないエネルギーの豊かさを
分かち合う時代だ。

わたしを面白がりこのさまを観ていたいと
映画や舞台を見るように集まって
親衛隊やファンクラブが結成されるアレ!
観客とともに湧き
涙し怒り笑い震える
そしてスタンディング・オベーション!

次の公演は既に予約で満席
プレミアチケット
ただしオンラインでも無料で生中継ある~❤
みたいな。

書いててワクワクするのに
ほんとにわたしなんかが
そんなふうになれるのかな?
それで富を得るのはよっぽどの人じゃんね?
と、セルフイメージの低さで
ぶっちぎれない。
ブレーキをかけちゃう。

わたしの中にある
怯えるインナーチャイルド。
弱い人の世話をできるなんてすばらしい
自分のことより他者貢献できる人がすばらしい
そしてそれで評価を得てきた過去。
奉仕や支援、ケアラーの役割を取っても
自分は必要とされるのか?

他人にとっていい人を抜けるのが怖いのは
このわたしだった。

ケアやサポートをすることが
社会的意義だと信じてきた。
社会の調和ってそれだと信じてきた。

でもそれをしなくても
わたしたちには高い価値がある。
その世界をこの目で見てみたい。
そうすれば存在給を軽んじて
何かをしないと価値がないと
ありのままでない自分に居続けることも
卒業になる。

わがままな孫やひ孫が
なにしても無条件にかわいいように
わたしたちは
どこにいても 
誰といても
いつでも

ありのままでこそ
ますます愛されるし愛してる。

さあ、そろそろ
本当の自己愛に気づくのかもしれない。




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