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夫婦の限界。本当の望み。

夫とはこれ以上近寄っていくのは無理なのかなあ、と思う。彼はスピリチュアルなことはわからないし、デリカシーがないので、言ってもわからないかなあという気がして。
家族の食卓では、夫に芸術や心の話をしてもわからないから、しなかった。皆がわかる話をし、皆が寛げる場所にしたかった。
でも私自身に癒しの場所が必要で、最近の悩みを夫に話したら、あまり共感していなさそうで、拍子抜けした。それどころか、どうしてこれのペースについてこないんだと不満そうなのだ。いつもその調子だった。

男ってそういうものだ。それはわかる。しかしもうどうでもいい。
私は心底落ち着ける場所でなければいたくない。

コメダ珈琲にいかず家族と離れた私は教会へ向かい、しばらくそこにいた。
夫に、宗教を禁じられたことがあったな。でも私は宗教のようなものでなければ、私の居場所が得られなかった。

神の声に従うとはどういうことなのかお話しします、と牧師さんが言った。

自分の欲望で動くと、いい結果にならない。これは今までの経験でわかっていたし、夫と腕の中というのも、愛と支配の紙一重であると思うと落ち着いていられなかった。
家庭というのは、鳥籠なのだ。
鳥籠を居場所にしていたら、人生をもろとも握られてしまう。だから自分の核となるものの置き場所は、家庭以外に持った方がいい。
芸術もそのつもりだったけど、芸術の方はまだ私をお呼びでない気がする。その前に愛の置き場として教会を選ぼうとしている。
私自身が愛の存在とならなければ、人生を安心して選び取れないから。

もう人生を50年以上生きてきた。今更何かに縛られることもない。本当の望みって、阻害されたからと言って消えるものではないんだ。もっともっとその望みは強くなる。そして私の行きたい方向を示してくる。
迷わず、行っていいんだ。愛したいものを愛していいんだ。

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