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私の存在が否定された日。

ゴールデンウィークに家族三人で出掛けた。お茶を飲みながら、夫と娘が今はやっているゲームの話を始めた。私はよくわからない話だったが、夫と娘は乗ってきて、全く私を無視したまま二人だけのラリーが続いた。
私は自分をいないもののように扱われている気がした。ぎゅっと鳩尾が苦しくなり、三人で歩くことが苦しくなった。
そして二人に夕飯代を渡し、私だけ先に家に帰った。

次の日、私は夫にこの事を話したら、「何?精神的な話?早く自分を立て直しなよ」と言われた。私は自分の気持ちをできる限り伝えたが、彼も寄り添っているようには見えたが、あんまりわかっていないようだった。
次の日、家族でラーメン店に行こうと言われたが、あまりいく気がしなかった。娘が行きたいと言ったので仕方なくいくことにした。買い物からラーメン、コメダへ行くスケジュールを立てたが、私は買い物をして帰ると言った。「わかった」と夫はいい、「コメダに行ってみたかった」と娘がいい、私は家族と離れた。

胸が引き裂かれるような悲しみが走った。家族と断絶したような気持ちだった。いてもたってもいられず、藁をもすがる気持ちで教会へ行った。月曜日の教会は閉まっていた。電話をしたら牧師さんが礼拝堂の扉を開けてくれた。私はしばらく礼拝堂で手を合わせ俯いていた。


実家に行った時、私は母と集中的に話していた。私はいつも話したいことがたくさんあり、母はいつも懸命に聞いてくれたから。だから四人で団欒している時も、私と母のラリーがメインで弟が横から参加すると言った感じだった。
父がその様を見て辛そうに目をそらしていたのを見たことがある。

父が私に話しかける時は、ワントーン低めの声で、心の根底に向き合うような言葉を投げた。しかし若い頃の私はそれが気持ち悪かった。当時の私は、自分の心の根底など知る由もなかったから。

若い時の私は、実家といえば母が全てで、よく母の口から父の悪口が出てきたので、父の存在はどんどん私の中で薄まっていった。そして親が歳をとってくると、母が父に指図し、世話をし、父に干渉する光景をよく目にした。父の人生が母に侵食されているのを感じた。お母さんもうやめて!と叫びたかったが、母は聞く気もなく、私は口を出すのも億劫だった。その時の父の母に向けられた憎悪に満ちた目を覚えている。

父は殺された。母に。家庭という居場所を奪われた。
その事実が私の心を深く抉った。
私の居場所だった家は、もうない。その事実が、私の根底を突き崩した。

父も、母も、違う人間だ。
哀しかったのは、相手の人間性を否定するようにして自分の愛を押し付けたから。でもそれは私のためのもではなく、親の満たされなかった承認欲求だった。

夫が私の前で私の全くわからない話をするのは、もっと俺の話についてこいよ、という操作なのだ。
それが怖かった。
休日も全部自分でスケジュールを組み、そこから外れたら気分を悪くする。

私は踏みとどまった。立ち入るのをやめた。
全てを彼に預けたら、私の人生は絡めとられてしまう。早めにここから逃げ出さなくては。

誰もが私を裏切るのではないか。
家族でさえ、私に優劣をつけ、異質なものを除外し、居場所を奪っていくのではないか。
人は信じられない。もっと大きな愛に出会いたい。

あの日から私は家族と話さない。食卓はしんとしたままで、夫も娘も話そうとしなかった。
母の日のお祝いに娘が砂糖菓子をくれた。二人でそれを食べた。夫にもあげようとしたが彼は受け取らなかった。

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