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ワインの都ボーヌ、とディジョン飯 二十歳最後の大冒険。#3

ボーヌ。Beaune。正直数か月前に試験勉強を始めるまでは全く知らない地名だった。ワインの勉強に行くのだから、知識を少しでもつけて行かないと!と決意したワインエキスパート試験の受験、出発直前に受けた試験ではあえなく不合格。次こそ受かるためにも現地を見たい!と今朝はブルゴーニュワインの都ボーヌへ向かうため、グランクリュ街道をバスで走り抜けるコースを選択。

ディジョン駅前からボーヌ行きのバスに乗車、約三十分の道のり。教本の文字列でしか見ていなかった有名な畑が続々と車窓の前に現れることにテンションが上がる。

グランクリュと言うのはブドウの特級畑のことで、どの畑で育ったブドウを使っているか、ということがブルゴーニュでは重要な価値になるようだ。ボルドーのワインではシャトー(ワイナリー)名が大きく書いてある部分に、ブルゴーニュでは “Nuit-St-Georges”、 “Gevrey-Chambertin”などの特級畑の名前を書く。
ボーヌの観光案内所の奥にある “Maison du Climats”という小さな資料館に行くと、畑ごとの個性がこの産地でとても大事にされていることがわかる。

正直何十個もある畑の名前を地図と一致させながら覚えるのは試験勉強の時辛かった。しかし、地質の違いやそれぞれの名前に込められた由来や歴史が丁寧に説明されているこの新しい資料館を見ると、出来上がった分類や畑の区分けがなんと凄いものなのかと尊敬の気持ちを抱いた。資料館を出てグランクリュの地図が印刷された布を買った。帰ったらこれを家の壁に貼ろう。もう苦痛なんて絶対に言わない。

ボーヌには “Musee du Vin”がある。(塩尻・アルプスワインの美味しいワインではなく、こちらはガチのワイン博物館)古くからワイン醸造に使われてきた道具と共にワイン造りやワイン文化の変遷が分かる博物館で、日本ではあまり見ることのないアイテムの数々が並んでいる。中でも貴族が成人するときに贈られていたという金属製のワインカップがとても美しくて、ワインが深く深く文化に根付いている国だということに改めて感動する。

さらに度肝を抜かれたのが “Hospice de Beaune”だった。古くは病院として使われていた大きな建物だ。中世から1940年代まで貧しい人々のための病院として稼働していて、なんと病院でワインを造ってオークションで売ることでその運営費を賄ってきたらしい。その建物も、病人が少しでも希望を持ちながら暮らせるようにと、天井は高く、美しいステンドグラスや壁画が用いられていて、とても立派なのだ。このような形でワイン造りを通して人を救えるシステムができていたことに、ただただ感服した。暑い日だったから、ということもあったけれど中庭で風にあたっているととても心地よくて、禅寺のような空気が漂っていた気もする。

今日は早めに夕飯を食べてゆっくりしようと、夕方には電車でディジョンに戻った。しかし、店を何軒見てまわってもなぜか食事をしている人がいない。なんとフランスのレストランは19時からディナーが始まるのがほとんどらしい。
これは誤算だった。早く夕飯を食べたかったのはすでに足がパンパンだったからだ。一度ホテルに戻ってみるも、フロントの人が外出中で鍵が開いていない。でもディジョンでどうしても食べておきたいものがあるので諦めるのも嫌だったので、比較的小ぢんまりした中心街をぐるぐる探検しながらレストランが開く時間を待った。

ディジョンの街は程よく賑やかで、細い路地にお店が並ぶのでほぼホコ天。この後訪れた都会と比べても安心して歩ける治安の良さだった!

待ちに待った夕ご飯。迷わず頼んだのは、 “Oeuf(卵)de Bourgignon”と “Boeuf(牛) Bourgignon”だ。
卵のブルゴーニュ風は、ポーチドエッグに赤ワインソースを添えたもの。牛肉のブルゴーニュ風は、赤ワイン煮込みのこと。これは来る前からどうしても食べてみたかった郷土料理だった。

前菜と主菜を選べる軽めのコースでこの二つを選んだのだけれど、薄々予感していたことが起こる。
出てきた二つは、ほぼ同じ味だった。同じ赤ワインソースがかかっている感じがする。赤ワイン味に私が慣れていないせいなのか、終始もう一塩ほしいと思いながら食べていたのだけれど、そういうものなのだろうか。いつか他の店でも確かめてみたい。

まあいい。座った時はまぶしかった夕陽が沈んでいき、テラス席からは街中でワイン片手に食事を楽しむ人々の姿が見える。その中で、私はボーヌの赤ワインと共に、食べたかったブルゴーニュ料理を一人食べている。その事実だけでも贅沢な瞬間だったのだから。




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