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愚痴られたい人

今日は朝から打ち合わせをしていた。朝食の時間帯、カフェの外席には「ザ・リア充」という感じのファミリーがうふふあははと談笑していて、雲の上でも見ているようだな、と思いながら隣の席に腰掛けた。

今日打ち合わせをした人は、絶対時間に遅れてこない。改めて今までの待ち合わせを走馬灯のように思い出したけど、やっぱり一度もないとおもう。かといって、人にそれを強いるわけでもなく、わたしがバタバタと登場したときも「おつかれーー」とひらひら手を振って迎える。(ギリギリはよくない、わかってる)

わたしは、「人との距離感」を、この人から教わることが多い。

話ができるとつい嬉しくて、グイグイと距離を詰めてしまう癖がある私は、「コミュニケーション能力が高いね」、と言われることがある。ありがとう、と返事をするときもあるけれど、そんなことはないのだ、と心の中で思っている。近寄れない人も、近づきすぎる人も、結局「適度」から離れていることに変わりはない。そう、おなじ、不器用なんだ。

この人はほんとうに多くの人とかかわっている、仕事もプライベートも。その母数の多い中で、それでも私にとってちょうどいい場所にいつも立っている。たぶん、これは想像ですが、関わる多くの人がそういう気持ちでいるんじゃないかな。

そばで働き方を見せてもらう機会もあって、観察して、おかげでわたしも昔よりは「距離」を心地よく保てることが増えてきたと思う。

丁寧に仕事をするから繊細なのかと思いきや、プライベートでは細かいことはそんなに気にしない。落ちた物を食べるのとか平気(笑)ギャップが激しい。

もっと話がききたいなぁ、と思うことがある。朝っぱらのカフェや、深夜のファミレスやそういう場所に急に呼び出されて、延々と愚痴をこぼされたい。いつもすーっとして、ふわっとして、ちょうどいい場所にいてくれる、おれい、というわけでもないけど。たまにはそういうことがあってもいいんじゃよ。と。

隣の席のファミリーの会話がふと耳に入る。「マンションの断水がなかったら、こんな朝ごはんたべないよねえ」「あたりまえだろ」。

さっきまで雲の上にいた家族が、トントントンと虹色の階段を降りてきた。ようこそ、世界へ。

満月はすぎたのに、7時頃ゆっくりとのぼる月を見るのが嬉しくて、毎夜お月見をしています。

今日の月もいいな。

おやすみなさい、またあした。


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