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2.堂道、新天地!②
戻ってきた堂道はやはり怖い顔をしていた。
店には、ただ糸を迎えにきただけで席に着く様子もなく、糸がすでに飲み干していたアイスコーヒーのトレーをご親切にさっさと片付ける。
「あ、すみません!」
糸は慌てて立ち上がり、隣の席に置いてあった荷物を掴む。
いつもより大きめの鞄だ。
「なんで来たんだよ」
店の外に出ると日が暮れかかっていた。次第に暗くなっていく空とは逆に、気分はいくらか明るくなった。
街のざわめきが、荒々しい堂道のとげを隠してくれる。
優しくない大股の堂道に追いつくために早足になるが、たかがそんなことでは悲しい気持ちにはならなかった。
「お前、会社は?」
「半休取りました」
「アホか」
振り返ってももらえず、糸はその背中に向かって言った。
上着のないシャツ姿は、袖が捲られたままだ。
「あの、来ちゃダメでしたか」
「ああ、ダメだ」
「だって」
さすがに手を絡ませるのはいけないかと代わりにシャツのその袖を、遠慮がちにだが掴むと、堂道の身体がこわばったのが顔を見ずともわかる。
さすがにショックで、糸は思わず手放した。
「行くぞ」
「どこにですか」
「駅だ! ばかやろう!」
やっと振り返ってくれたかと思えば、真剣な顔で怒鳴られる。
今度は糸が立ち止まった。
悲しいとか怖いとかではなく、足は肩幅に開き、ほぼ仁王立ちのかっこうで。
ここでしおらしく泣きでもすれば、かわいい女なのかもしれない。
そんなふうなら、さすがの堂道も優しくせずにはいられないのかもしれない。
しかし、いつも不思議なのだが、糸は何らかの感情が満タンを超すとなぜか妙に頑固になる。普段の人間関係ではそんなことはなく、堂道に対してだけ。
鬼と恐れられる相手に凄まれ、怖さがないわけではないのに、なぜか想像もできないほど強情になる。
わがままなのかもしれないし、年下だからこその甘えの一種とも言える。
糸としては、その心の強さイコール愛の深さだと勝手に解釈しているのだが。
「私、帰りません」
それがまた突如発揮され、糸は口を一文字に引き結び、
「今日は帰りません!」
「はぁ?」
「泊めて下さい」
「無理。ダメ。帰れ。無理」
堂道は追い払う仕草をし、また歩き出した。
「なんでですか」
すがるというより食らいつく格好になった。
しかし涙の一粒もこぼれていないので、悲壮感はない。
「なんでって俺ら別れてんだろうが」
「別れてません。別れません」
「あのなぁ、のんきに遠距離やってるほどお前も暇じゃないだろ」
「結婚前提のお付き合い中なら、今の期間に問題ありません」
「四十過ぎのオッサンなんかさっさと忘れて自由に生きろ。恋愛して、結婚しろ」
「堂道課長とします。恋愛も結婚も」
堂道は再び足を止めて、わかりやすいため息をつく。
「……ああ言えばこう言う」
ようやくちゃんと視線が合う。
三ヶ月間、焦がれた人。変わっていない。近かった頃と全く変わらない。ためらいなく触れられた頃に戻りたい。
「……バーカ、なんで来たんだよ」
糸は目の前の男がまだ自分を好きだと確信した。
見下ろしてくる目が、そう物語っている気がする。
「家、教えてくれるまで毎週来ますよ?」
「……最後は脅しか」
そう呟いて、「とりあえずだからな! とりあえず場所を教えるだけだからな!」
観念したように、再開した堂道の歩き方はさっきまでとは変わっていた。
*
「会社から近いんですか」
「近い」
「広いですか」
「2LDK」
私鉄に乗り、一駅。
駅前には大きなショッピングセンターがあって、一帯は新しく開発された新興住宅地のようだ。
「買い物に困ることはなさそうですね」
「ああ」
「映画もすぐ観られるじゃないですか! いいなぁ」
「ここ」
特に町を案内されることもなく、弾む会話もなく、駅からすぐだという新居に着いた。
「わぁ! 新築ですか!?」
辺りには似たような新しい平和な住居ばかりが建っていて、そこも同様に、新しいクリーム色が目立つ二階建てだった。
「さ、目的は果たした。帰るぞ」
「え、嘘でしょ!?」
「約束だろ」
「ひどい!」
堂道は難しい顔をさらにしかめ、しばらく迷っていたようだったが外階段に向かって歩き出した。
「……コーヒー、一杯だけだからな」
「優しいところ、好きです」
堂道の袖を掴む。
「クソッ」
吐き捨てるように言い、コンクリートの階段を蹴るような仕草で階段を上る。
堂道の部屋は二階の一番奥で、ドアを開けるとまだ新しい匂いがした。
想像以上に広く、ファミリー物件なのだという。
「お邪魔します……」
リビングにはソファとテレビとダイニングテーブルとが、殺風景と形容するのがぴったりな置き方をされていた。
空いたスペースには放置されている荷物はほとんどが段ボールのままで、そこから要るものを随時取り出しているらしい形跡があった。
「ソファ、持ってきたんですね。テーブルは……」
「テーブルは買った」
「確かに、マンションにあったのは大きすぎますもんね」
それを言うなら、ソファも部屋に似合わない四人掛けのロングサイズなのだが、これならそのまま寝てしまっても身体が痛くないと前に言っていたので気に入っているのだろう。
堂道の新しい暮らしに、懐かしさと新鮮さ、安堵と不安が入り交じる。
「荷物、片付けないんですか」
「そのうちな」
「マンションの方の引っ越しも大変だったんじゃないですか」
「……まあ、それはある意味いいきっかけになったわ。いつかは片付けるなりしなきゃなと思ってたから」
不在の間、今まで住んでいた横浜の部屋は分譲賃貸にする予定で家財は一掃したらしい。
なんなら留守中、糸が代わりに住んで堂道の帰りを待つつもりもあったのに。
短くはあったが、糸も多少なりとも思い出や愛着のある愛の巣だ。売りに出すわけではないとはいえ、糸が出会った時代の堂道の暮らしは戻らない。別れを惜しみたかったけれど無理だった。
コーヒーの香ばしい匂いが漂ってきたと思ったら、堂道が見知ったマグカップを両手に運んできた。
「……ありがとうございます」
本当にコーヒーを入れられてしまった。
複雑な気持ちで受け取り、突っ立っていた糸はソファに腰を下ろす。
堂道は、おそらくわざとダイニングテーブルの方の椅子をひいてそこに座った。
部屋はがらんとしているのに、荷物は散乱していて、キッチンにも生活感がない。
「女の人の影は見当たりませんね」
「いたとして、匂わせるようなダサいマネするかよ」
堂道が微かに笑った気がした。
言ってみただけで、そんな心配はしていない。堂道は器用なようでいて器用ではないし、不誠実な人ではないと知っている。
「……どうですか、仕事」
「そりゃお前、パワハラで左遷されたヤツが異動してきてみろ、ビビるだろ。腫れ物扱いだ」
「そうですか」
「ま、職場環境なんてどこも大して変わんねぇけどな」
「ハブられてかわいそうですね」
「アホか。社内派閥に巻き込まれる方が地獄だわ」
それでも慣れない土地で一人寂しいだろう堂道の日常を慮って泣きそうになっていると、
「糸は? なんか変わったことあったか」
久しぶりに呼ばれた名前は、想像以上に優しく、嬉しかった。
我慢していた感情が一気にあふれ出る。
「変化ばかりです。寂しいです。堂道課長がいなくて寂しい」
「慣れろ」
「……無理です。そんな簡単に言わないでください」
声が涙で震えてしまった。
おそらくそれに気づいて、堂道が立ち上がる。
糸を抱きしめるためでないことは、もうわかっていた。
「行くぞ。車で送る」
「……はい。すみません、お願いします」
糸は諦めた。
手の中には、熱いコーヒーがなみなみと残っていたが、あえてカップは洗わずにダイニングテーブルに置く。
少しだけ、意地悪をしたくなった。糸を帰したことを堂道が後悔すればいい。
Next 3.堂道、鉄パンツ!①へ続く
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