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24.堂道課長は変わらない

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「なにやってたんだよ! なんでまだできてねぇんだよ! こんな資料でクライアント納得させられると思ってんのかよ!」

「……堂道は今日も朝から絶好調だなぁ」

 羽切は肩をすくめながら、ちらりと糸を見た。
 パーティションを超えて聞こえてくる怒鳴り声に、一課のミーティングはさっきから何度も中断を余儀なくされている。

 今日の堂道のナナメ、否、もはや垂直方向の機嫌悪さには糸が関係していると思っているのだろう。昨日、あれから何があったのだ、と。
 昨日の今日で、羽切には名古屋を出るときに一報入れたのを最後に、まだ個人的な報告はできていない。
 仕事中に、わざわざデスクまで行って言うようなことでもないだろうとも思う。

 それにしても、確かに今日も、いつも通り、元気によく怒っている。
 つい数時間前のことなのに、あの堂道と同一人物なんて嘘のようだ。

 一眠りと言うにも足りないほんのわずかな時間まどろみ、後ろ髪をひかれながらホテルを出たのは朝の六時だった。
 深い眠りからゆすって起こされたとき、堂道はすでにシャワーを終えていて、朝はキスをしただけで終わった。
 ねだって、むくれたのは糸だけ。
 堂道は「さすがに、朝からサカって平然と仕事ができるトシじゃねえんだよ」と苦笑していた。

 どんな日にも、出勤しないといけない社会人という身分がうらめしい。
 糸はいったん家に着替えに帰り、堂道はそのまま会社へ向かった。

 朝日を浴びれば魔法がとけるんじゃないかと本気で心配していた糸の心中を知ってか知らでか、別れ際にちゃんと「週末は? 会うか?」と次の約束をしてくれた。糸の不安をなくしてくれる魔法の言葉を知っていたように。

 昨夜のことを言葉で説明するならば、『いつくしまれた』というのが一番ぴったりくるような気がする。

 甘い言葉を囁かれることもなかったし、卑猥な言葉でいじめられることもなく、激しくもなければ甘くもない、年上の余裕とでもいうのか、広くて、大きななにかに抱かれている感覚があった。
 例えるなら、凪いだ海に抱かれるような。
 そして、そんなセックスを『自信がない』という堂道を糸は、たぶん私は一生この人のことを好きだ、と確信した。

 一人の男としての堂道は、会社で見る顔とは全く違う。
 そして、見た目から易く予想されるであろう言動も実際は全く違っている。

 しかし今、耳から頭に響く不快極まりない怒声と、堂道を好きでいる自分と、感情のチャンネルを上手く切り替えられないでいると、ミーティングテーブルの隣に座っていた営業の当馬とうまが身体を寄せてきた。

「玉響さんさぁ、昨日、堂道課長と名古屋まで行ったんだろ? 災難だったなー。よく耐えられたなー、俺絶対ムリ」

「あー……」

 そうですね、そうでもないですよ、そんな人じゃないですよ、そんなこと言わないで下さい、そのどれが正解かわからず、糸は返事を濁した。
 これまでもだが、これからも、こういう時どう返すのがいいのかわからない。
 空気を読んでとりあえずの同意はしたくないし、かといって、むきになって庇うと怪しまれる。
 しかし、いくら好きでも堂道の素行を正当化することはできそうにない。 
 糸は、いつか堂道に意見できるようになったら、その時は営業部を代表して苦言を呈したいと思っているくらいだ。
 
「弱い犬ほどよく吠えるって言うし……」

「あー、そういう。なーんだ、そっちか。とたんに小者感出た」

 堂道課長ごめんなさい、と心の中で謝った。
 すごく微妙なフォローになってしまいました。

「堂道、何あれ、どういうこと? あんたたち、幸せなんじゃないの? 幸せを還元して社内の平和に一役買おうって気はないわけ?」

「私が一番、どういうことって思ってるよ……」

 詰め寄ってくる夏実に、糸は大きなため息をつく。

「今日もキレッキレだったねー。堂道課長ブレないわー」

 朝にラインで一通り伝えたものの、ランチは当然、夏実と小夜への報告会のはずだった。
 しかし、今朝からの堂道の言動が夏実の祝福気分に水をかけたらしい。

「確かにね、たかだか私と付き合っただけで、丸くなったり、いい人になったりすることはないと思ってたけど」

「それでも、流石にちょっとくらいは機嫌よくなったりはするだろ! それが人間ってもんじゃないの! 糸ォ、堂道を変えられるほどの存在になってよー」

「まぁまぁ、ホラ、寝不足でイラしてるのかもよー?」

「あー、そっか、そういう可能性ね」

「寝不足なんだったら、おとなしく居眠っといてくれ!」

「夏実ぃ、ごめんだから今日は許してあげてよ」

「なんか糸までウザくなってきたわ」

「で、どうだった? アラフォー男。そんなオジサンとやったことないから」

 女子の猥談に夜も昼も、酒のあるなしも関係ない。
 声を潜めると自然に、体勢も小さくなる。

「思ってたほどオジサン感なかったよ。むしろ、大人のヨユー感?」

「何回ヤッたの?」

「……言わないでよ。二回……」

「十分じゃーん!」

「オラオラ系? ドS系?」

「どっちでもない。っていうか、すごく優しかったよ」

「やめて! キモイ! 想像したくない!」

「さあて、ここからどうなるんだろうねぇー」

「さすがに結婚とかはしないよねっ! アタシ、結婚式参加しないよ!?」

「結婚かぁ……」

 まだそこまでは、考えられなかった。

 一課では、糸か小夜の手が空いているとき、在席している営業にコーヒーを淹れる慣習がある。
 代わりに、羽切や営業は話題の茶菓子を買ってきてくれたりして、一課の交流のツールでもある。
 義務ではないし、めんどくさいと思う日もあるが、今日は率先してやりたい気分だった。
 三時前になって、糸は席を立つ。

「今日はー、羽切課長と当馬くんと、……二、三、四、五人分か」

 給湯室で人数分のスティックコーヒーの封を切っていると、
「よう」
「わっ!」

 背後から声をかけられて、飛び上がった。

「びっくりしたー! ど、堂道課長もコーヒータイムですか」

「いや、あんたがこっち行くの見えたから」

 距離がなんだか近い。やはり、もう普通じゃない近さだ。
 わりとたっぷりある髪を、かき上げ気味に七三に分けて、しっかりと整髪料で固めている。
 この髪を下ろしたところを、糸はもう知っている。
 ネクタイを取ったところも、シャツを脱いだ姿も。

「眠気、大丈夫か」

「あ、はい」

「昼過ぎ、うつらうつらしてるの見えてたけど」

「課長こそ朝から怒鳴ってましたけど、寝不足でイライラしてるからって八つ当たりしちゃだめですよ」

 糸が言うと、堂道はげんなりした顔になった。

「あのなー、私情を仕事に持ち込んでられるかよ。二十代の若造じゃねーんだよ、社畜歴二十年のオッサンなめんな」

「羽切の分もらう」そう言って、糸が入れたばかりのコーヒーのうちから一つ、勝手に取って小部屋を出て行った。

「もー」

 糸は怒りながらも、口許のほころびを隠せない。
 顔がにやけて、しばらく席に戻れなかった。

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