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2.希望ある未来を望むこともできる

「あそこで結婚してないのって、前田と浅ちゃん、黎くんの三人だけじゃない?」

 メインのステーキを頬張ったタイミングで飛び出した発言に、わたしは少し離れた黎のいる円卓を見た。

 さっちとタカシの披露宴で、わたしは新婦の中学、高校時代の同級生というテーブルにカテゴライズされ、黎は新郎側のそれのテーブルにいる。
 男ばかり八人のテーブルにおいて既婚者は五人。

「男子は独身の方が少ないの?」

「対して、こっちは八分の五が独身って、私らやばくないー?」

 同じテーブルを囲む同級生の自虐的な発言に、左手の薬指に指輪の光る三人は肩身の狭そうな笑いで応えている。

「独身だけで合コンしても、私らの誰かが二人あぶれるし」

「あいつら相手に、それってなんか腹立つわー」

「えんちゃんは黎だからいいじゃん」

「え?」

 食事に専念していたわたしは慌ててお肉を飲み込む。

「わたしと黎はそんなんじゃないってみんな知ってるじゃん」

「確かに知ってたー」

「黎かっこいいのにねー。ケーシーチョーだし。なんで結婚しないのかなあ?」

「さあ、なんでだろうね」

 もう一度、少し離れたテーブルの黎を見る。
 久しぶりに会う仲間ととても楽しそうだ。
 黎は昔から面倒見がよくて、親しみやすくて、男子からも女子からも人望があって、クラスのムードメーカーだった。
 わたしの思い出のなかの黎はいつも、笑顔でみんなの輪の中にいる。

 わたしが受付を済ませたとき、すでに黎は到着していて、懐かしいメンツの男子たちで集まって談笑していた。
 わたしに気づいて、軽く手を挙げる。
 周りの友人もそれに倣って、順次わたしのことを認識している様子だった。
 盛装の同級生たちは成人式の再来だが、あの頃のぎこちなさやフレッシュさは当然ない。
 黎は少し光沢のある生地の三つ揃えのスーツを着て、シャツも糊がきいている。
 確かにわたしが心配した『いつもの』は『仕事用』らしい。
 散髪も行ったようだし。
 少しだけ寂しい気持ちが心をかすめた。
 一人でも着るものをちゃんとできることと、凛々しさに今さら惚れ直してしまいそうなことに。

 黎はバージンロードをゆっくりと進んでいくさっちを、一歩一歩ちゃんと目で追っていたし、讃美歌のときも式次第の裏に刷られた歌詞を見つめていた。聖書の朗読も退屈そうにしていなかった。
 邪念ばかりのわたしとは違って、まじめで素直な黎は、さっちとタカシの幸せを本気で神に願っていたのだろう。
 幸せなふたりを目の前に、やっぱりいいなとかうらやましいなとか、そんな自分本位な願いや自分勝手な感想を抱いたりはしないのだろう、わたしと違って。

「おー、お疲れ」

 披露宴の途中で席を立った時、化粧室を出ると向かってくる黎と出くわした。

「スーツ、これでよかった? 昨日、写メしようかと思った」

「は? 明日の服これでいい? とか三十男から写真送られてきたら引くんだけど」

「や、だってお前が服装大丈夫かとか言うからさ! ちょっと不安になって……」

「大丈夫大丈夫、イケてるイケてる。みーこたちも黎くんかっこいーって言ってた」

「どーもどーも。今日はたくさん飲んで行ってって言っといて」

 わたしのテキトーに、黎もテキトーで返してくる。

「お前、二次会行くの?」

「うん、そのつもりだけど」

「ふーん。じゃあな。めでたい席だからってあんま飲みすぎんなよ」

「うるさいな、わかってるよ」

 わたしも今日のドレスは頑張りすぎない程度には気合いを入れたけれど、けして黎のためじゃない。
 黎に見てもらうために着飾ったりしないし、今さら見違えた姿にドキッとしてほしいなんて期待もしない。
 そして、現実もそのとおりだ。
 ちらちらと黎を見ているのはわたしだけで、黎もわたしを見ていたり、目が合ったりすることは一度もないから。

 二次会では同世代の参加者が増えた。
 地元会場での挙式だったとはいえ、そもそも都内から電車で一時間弱くらいだから、二十三区内で勤めるタカシの会社からの参加も多かった。
 今日のこの日に多少の出会いを求めている未婚の新婦の中高時代の同級生グループは、新郎の同僚を狩場に選んだ。
 わたしもその中に交じる。
 やけぼっくいはないけど、本当になにかいい出会いがあればそれはそれでいいと思っている。

「あ、ブーケトスでブーケもらった人ですよね?」

 わたしだけにそう言って声をかけてくれた男性がいた。
 引き出物とは別に一つ、わたしだけの重い重い荷物があった。

「せっかくもらったものの、予定はないんですけど」

「影も形も?」

「まったく。気配すら」

 男性は、気配もないのか、と軽く笑った。

「予定がないなら入れればいいだけですよ」

 わたしたちは連絡先を交換した。
 何かが生まれそうな予感はなかったけれど、特別嫌でもなかった。
 出会いがセンセーショナルなものではないことはよく知っている。
 わたし達と同じカテゴリーの地元の男子たちは、新婦の大学の友人たちを狩場に選んだようだったが、詳しくは知らない。見ていない。見ないようにした。
 わたし達女子は二次会までで帰った。

 朝目覚めると、タカシの同僚からメッセージが届いていた。黎からも届いている。

『今、実家?』

『ううん、自宅だけど』

『昨日、あれから帰ったのか!?』

 黎からはすぐに返信が来た。

『え、別に。時間早かったし』

『俺、実家』

『そうですか』

『やけぼっくいはあったか?』

『ないよ。いまさら地元の誰と火が付くのよ』

『前田はやめとけよ。離婚してから遊んでる』

『ってゆーか離婚する前から遊んでるのみんな知ってるから』

『昨日、前田がお前のこと、かわいいかわいいって言ってたからさ。もしかしたら誘われるかもしんねーし、一応忠告』

『ご忠告どうも』

『あー、飲み過ぎたわ』

『そうですか』

『つか、二人とも幸せそうでよかったわ』

『うん』

『さっちもびっくりするくらい綺麗だったしなー』

『確かに』

『やっぱいいもんだなと思った。結婚てさ』

 もちろんそれが、わたしにつながることとは思わないけれど。
 部屋にひとりでいるわたしから情けない笑いが漏れた。

『黎は聖人じゃなかったか』

『は?』
『意味わかんねー??』
『聖人なわけあるか』
『超俗人。俺は邪念ばっかだよ』

「……わたしも、やっぱりもうちょっと頑張ってみるよ」

 特に黎に宛てるでもなく、呟いた。

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