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17.5 母のお引っ越し騒動記《番外》

ちょっと番外編です。

話は前後してしまいますが、これを書いてる今は母のお引っ越しは完了してちょっと経っています。

今回書きたいのは、私の決断についてです。

そもそも、そろそろ母に近くに来てもらおうと思った理由は「入院」でした。検査入院だったけれど、どんどん判明する体の状況。特に手術などが必要ではなかったけれど、母の年齢に改めて実感が湧きました。

だから、まだしっかりしてる「今なんじゃないか」と思ったのです。

そう思ったから、キッチンも付いてるサ高住を選びました。入院前は毎日5,000歩以上歩き、自炊し、手作りのフルーツジュースが飲みたいと私の持ってるジューサーを買ってほしいとねだるくらいでした。買ってあげたら、毎日美味しそうなご飯とジュース、きれいに飾ってあるお花写真がLINEで送られてきてたのです。

実際に退院した日に見学に訪れた時も、不動産会社の方もスタッフである友人も「しっかりしてらっしゃるわねぇ!」と驚くくらいだったのです。

そして、その翌週から入居に必要な書類を全部集め、遠くに在るの含めた口座のある銀行へも出掛け、そうして集めた資料をコピーして百均で買ってきたものにきちんとファイリングしてレターパックで私のところに送ってきました。

今思うと、あれは本当に本当に頑張ったんだと分かります。

ただ、90近い母はそれから急激に変わっていきました。入居の申請が認められた安心感からなのか、退院による環境の変化なのか、私の近くに来られると思って張り詰めていた気持ちが緩んだのか、それは分かりません。

電化製品が壊れて直そうと頑張り過ぎて疲れたのか、逆に先に母の記憶力が低下した結果壊してしまったのか。遠くに住んでいて見てない私には、どっちが先なのかそれも分かりません。

原因も理由も分からないけど、こっちに引っ越してくる話が出た時はまだ元気で頭もしっかりしてたのです。

だからこそ決断したのです。連れてきても大丈夫だろうと。ランチしたり、お出掛けしたりして親孝行できるかなと。

今回この話を書いたのは
①本当に良かったのかと考え続けてる
②親の老後について意見を言われた
からです。

母がこんなに弱ってると分かったら動かさなかったでしょうか?でも、遠くからサポートするには限界だったんです。

②に関しては、たまたまある方から親御さんのことで「なるべく今の住み慣れた所から動かしたくないと思ってる」って言われたんです。まだ70代半ばの親御さんです。

私も母がそれくらいの頃はそう思ってました。そう思ってたからこそ90近くになった今まで、実家に住ませてたんです。そりゃ住み慣れた家がいいだろうし、お友達だって周りにいるし。そっちの方が良いなんて重々承知してました。

私だってできればそのままにしてあげたかったですよ。その方は親御さんの兄弟親戚がいっぱいすぐ近くに住んでらっしゃるんですって。まだお若いですもんね。

うちは母の出身地も遠いし、母の兄弟姉妹も高齢です。もう殆どが亡くなってて残った兄弟姉妹も母以外が認知症になってしまいました。

いくつかの介護のブログを読んでますが、そのうちの一つにも「介護になったら、どうする?介護サポート受けて、出来る限り自宅で頑張るか?それでも無理な時が来ます。どういう状況になったら、施設に行くか?」と書いてる方がいらっしゃいました。本当にその通りです。

その方は私を責めてるわけじゃないと思うんですが、私がなんと言っても説明しても「自分はやっぱり親を住み慣れた所から移したくないんですよね」と言うんです。何度も。

責めるつもりは無いと思うけど、疲れ切って満身創痍の私には責められてるように感じてしまって。

あと「認知症の疑いのある人を動かすのは良くない」と仰る方も何人もいました。わかります。正論でしょう。でも言わせて下さい。私が決断した時は認知症の疑いはなかったこと。そして例え認知症だと分かったとしても「動かさない」ことがムリな場合もあることを。

「それでいいんだよ」とか「willowは良くやってるよ」とか言ってほしいんです。私なりに私のベストを尽くしてるつもりなのです。私だってこれでいいのか、不安と闘う日々です。

母が実家の近くのお友達と電話してて言ったんです。「なんかねぇ。こっちに連れてこられちゃって」と。そして「暖かくなったら戻るから一緒にお食事しましょう」とも。そう思ってたんだ。戻るつもりなんだ。と心が折れそうでした。

もちろん(まだ診断は付いてませんが)認知症なら仕方のないことです。ただ、頭では分かっててもショックは受けるんです。ショックを受けるなと言われてもムリです。頭で理解することと気持ちの問題は別ですから。

入居から一週間して感染症対策でお部屋での配膳が終わり、服薬確認もして頂ける食堂で食べ始めたようです。満身創痍(ものもらい&ギックリ腰)の私は、母のところに行きませんでした。母が引っ越してきて初めてでした。

母が自分で服薬管理ができないことが分かって、この一週間は夫にも協力してもらって3食後ごとにお薬を届けてました。(紆余曲折あって、今は自費で服薬管理を依頼してます)

お引っ越ししてから一週間の間に実家に探し物に夜中に2回行き、1日はお役所関係を周り、1日は夫に母をドライブに連れ出してもらいその間に母のお部屋でネット環境を整えました。

体も心も限界でした。

介護を始めたばかりの私にはキツイ言葉でした。