見出し画像

高い所の雲と、足元に転がる石

最近、ちょっと心を打たれた事件があった。

スクリムも2年目に入り、少しづつ、ブランドの価値観に共有してくれる人や、応援してくれる方が増えて
テレビや雑誌に取り上げてもらったり、コラボレーションの依頼や、お店で取り扱ってくれるところも出てきたおかげで
2年目を迎えた8月、SCREAM ICE CREAMの売上は去年と比べて大きく伸びた。

ある時、お金の整理をしよう!と売上の算出をしていて
この夏の成長具合に気づき、
森也は「え!俺らすごいじゃん!この夏は頑張ったね、やったね!」
とキラキラした目で喜んでいた。

喜ぶ森也は、同時に、私のこの時のドライな反応に寂しさを感じて
もやもやしていたと、私たちが大喧嘩をした日に悲しそうな顔で告げられた。(喧嘩事件に関してはまた後日(笑))

確かに、あの時の私は「そうだね。」と一言真顔で反応して
すぐに仕事に戻ってしまった気がする。

(その時の自分の反応を思い出すと、今でも後悔で苦しくなる。)

私の反応の背景は
「この夏の売上は、一時的なもので、継続性があるものではないから、両手をあげて喜ぶのはまだ早い」
「オンラインの売上を上げるためにやることはたくさんあるのに、できていないのが悔しい」
で、もっと頑張らなきゃ!精神が勝ってしまって、純粋に喜ぶことができない自分がいた。

これは私の通常営業のスタンスで
もっと!まだできる!できてない、悔しい!やるぞ!やったね、だけどもっとこうできたね
といった様子でいつも過ごしている。
あり方ややるべきことの理想が常にあって、でも全部できるはずなくて、いつもどこかもどかしく焦っていた。

だからこそ、そこを指摘されたのはショックだったし、同時にものすごくハッとさせられた。

「悔しいことも、出来てないこともわかる。俺ももっと頑張らなきゃとは思う。
だけど、去年出来ていなかったことができていたり、売上が上がったり
そういう、一時的だったとしても、小さな嬉しいことを、一緒に喜びあえる相手であってほしい。
一緒にやっているからこそ。」

そう言われて、私が今まで自分を認めてあげられず
自分で自分に鞭を打って、苦しんでいたことに気づいた。

今の私のままだったら、来年、例えば仲間ができて
「今月はこんなに上手くいったね、嬉しいね!」と皆が喜んでいても
一人、輪の外で厳しい顔をして「まだまだいけたでしょ」と士気を下げる嫌な奴になっていたと思う。
そしてそんなことを言っている自分が想像できてしまったことが恐ろしかった。

マリはどうしてスクリムに関わっているの?と聞かれた時、
「スクリムはカッコイイブランドだと思ってるからこそ、もっと大きくしたいし皆に知って、認めてもらいたいし、ちゃんとした”ブランド”に育てたい」と答えた。

「俺は、SCREAM ICE CREAMを、お金を稼ぐために、ブランドを大きくするためにやってるんじゃない。
”自分が”幸せに生きるためにやってる。だから、今、現実を見て、できていることを認めて喜んで
そうやって幸せに生きていた結果、気づいたらブランドが大きくなっていればいいし、お金が稼げていたらいい。し、そうなると思う。」
森也にそう返された時、あぁ、私は大切なことを見失っていたな。と気づいた。

ブランドを始めたばかりの頃は、アイスが1件売れただけでも飛び上がるほど嬉しかったし
東京まで2人でイベントしに行くと、たくさんの友人が遊びに来てくれて、楽しくて楽しくて、交通費で結果的に赤字だったことなんてどうでもよかった。

その動き方が正解とは限らないけど、でもそうやって毎日、小さな成功体験を積み重ねていたら
こうやって、1年越しに、きちんと「売上」という数字に結びついてきたんだった。

8月の売上は継続的ではないかもしれないけど、あの、前だけを見て走り続けた1年目がなかったら、それさえもなかったはず。

高いところばっかりを見て、あそこに届きたい!とずっと背伸びをしているのではなくて
たまには、足元に転がっている小さくて綺麗な石にも目を輝かせて拾い上げることをしないとな。
そんなことを思い、

森也は大きな夢や理想ばっかり語って、夢想家で
万理はお金のことや足元の業務をきちんとこなすから現実的。
そう思われがちだけど、
実は逆なのかもね、と二人で笑い合ったのでした。


終わり。


そういえば、サイバーの新卒時代
先輩たちに焼肉に連れて行ってもらって、カトマリは頑張っているよ、と褒めてもらった時
「全然まだまだです、自分が満足してないので褒められても嬉しくないです。」
と生意気に返した私に
「カトマリは自分に厳しすぎる。納得してない部分じゃなくて”頑張った自分”は素直に褒めてあげないと苦しくなるぞ」
と言われたことを、この日記を書いていて思い出した。
当時は、「そうですね」と言いながらあまりその言葉が深くまで入り込んでいなかったけど
今なら「そういうことだったのか・・」と本当の意味で理解ができました。
やはり年長者は偉大である。先輩ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?